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第136連隊のカヴェニー大佐を探して:前編

GHQと京都刀剣(普及版)』を読んで、京都市内の警備を担当していたカヴェニー大佐(あるいはコーペニー大佐、コーベテ大佐)がどんな人物か気になったので調べました。備忘録も兼ねて典拠を記載しているうちに文字数が多くなってしまったので、記事を前後編に分けてあります。この記事は「前編」です。

※わりと長めです。(約8000字)
※「カヴェニー大佐とは誰なのか?」という問いについては、前編で結論を出しています。
※Nov 11, 2023、表示されていなかった挿入画像が表示されるよう修正しました。また、文体を優しめに変更しました。

第6軍第136連隊と京都進駐

カヴェニー大佐の基本情報についておさらいしましょう。大佐は第6軍が管轄する第136連隊に属しており、1945年(昭和20年)の11月、および12月(少なくとも21日まで)は京都に駐屯していたが、同年12月下旬以降に第6軍ごと朝鮮半島へ移動しています。

滋賀県庁のホームページで公開されている滋賀県立図書館のデジタル展示「占領下の滋賀~GHQとその時代~」(2016年)によると、戦後の「大津市には、米軍第6軍136連隊のカーベーニー大佐以下2,910名が進駐し、滋賀県軍政部が設置され」たとあります。

『占領下の滋賀~GHQとその時代~』「【コラム1】GHQの進駐と接収」

カヴェニー大佐と同じ階級・似た立場で、似た名前の人物「カーベーニー大佐」に関する情報が登場しています。SmithやJohnsonのようにありふれたファミリーネームではないため、おそらく同一人物ではないかと思いますが、断定するにはやや確証を欠いているのでもう少し情報がほしいところです。しかし、京都以外にも第136連隊の進駐した地域があったらしいという情報は収穫でしょう。

次に、兵庫県宝塚市のたからづかデジタルミュージアムも見てみましょう。こちらにも第6軍の進駐に関する情報が載っています。少し長いですが、以下引用します。

マッカーサー元帥を総司令官とする連合軍総司令部GHQ)が東京に設置され、日本占領行政の中心となった。そして占領軍は全国各地に進駐したが、当初の連合軍は主としてアメリカの第八軍と第六軍とであって、第八軍は東京に司令部をおいて主として東日本を、第六軍は京都に司令部をおいて西日本を、分担した。兵庫県に進駐した占領軍は、この第六軍第一軍団に属する第三三師団(司令部は神戸)で、第一軍団は沖縄の激戦をへた歴戦の米軍一二〇〇名からなり、九月二十五日早暁に和歌浦田辺港から上陸を開始し、戦闘体勢のまま第三三師団の一部は宝塚地区へ進駐してきた。そして宝塚歌劇場や東洋ベアリング製造株式会社武庫川工場へ六〇〇名ずつ駐屯した。

宝塚市/たからづかデジタルミュージアム「連合軍の進駐」(324/483頁)

GHQと京都刀剣(普及版)』でも説明されているように、第136連隊は第6軍の下部組織です。第33師団は第6軍と第136連隊の中間にあたる大きさの軍隊のため、各部門の上下関係は上から第6軍>第33師団>第136連隊の順番となります。

そしてこの段階で、日本語で大佐の情報を探すことに限界を感じるようになったので、以降は主に英語で調査を進め、大佐の足跡を追うことにしました。

カヴェニー大佐とColonel Cavenee

カヴェニー大佐はファミリーネームのスペルが不明なので、まずは所属部隊の名称「第6軍 (the Sixth Army)」「第33師団 (the 33rd Division)」「第136連隊(the 136th Infantry Regiment, 厳密には「第136歩兵連隊」)」で情報を検索します。

アメリカ国立公文書記録管理局 (National Archives and Records Administration, 通称NARA) のオンラインアーカイブに、第6軍についての概略が掲載されていました。*1

It landed at Kyoto, Japan, September 26, 1945, and soon thereafter was relieved of occupation duties by Eighth Army December 31, 1945. Sixth Army was inactivated January 26, 1946 in Japan and by authority of War Department radio of November 22, 1944, and announced by GHQ AFPAC general order 397, December 14, 1945.

【拙訳】第6軍は1945年9月26日に日本の京都府に上陸し、1945年12月31日、第8軍によって任務から解放された。アメリカ合衆国陸軍省による1944年11月22日付のラジオ放送、及び米太平洋陸軍総司令部による1945年12月14日付の一般命令第397号のもと、1946年1月26日付にて日本で動員解除された。

NARA Archives: War Department. Sixth Army. Information Office. 1/25/1943-9/18/1947

NARA Archivesには第6軍の日本進駐時代の軍事記録も保存されていますが (下記リンク参照)、資料がデジタル化されておらず、現時点ではオンライン上で閲覧できない状態にあります。同様に、第33師団の動向についても資料が残っているようですが、アーカイブ化が進んでおらず、今のところオンラインで確認する方法はありません。

NAID: 1263766, HMS/MLR: A1 147, US 0216 0000 A 736: HQ, Sixth US Army. Report of the Occupation of Japan. 22 Sept. - 30 Nov. 1945

NAID: 2145237, HMS/MLR: NM84 79, Report of Occupation of Japan - Sixth United State Army, September 22, 1945 to November 30, 1945

NAID: 1202890, 33rd Infantry Division: Numbered Memorandums

NAID: 1202903, 33rd Infantry Division: Operations Memorandums

NAID: 1113839, Deceased Personnel, 33rd Infantry Division, March-June 1945

NAID: 352112, Report of Prisoners of War Captured (by 33rd Infantry Division), February 1945-June 1945

 

次にInternet Archiveで部隊名を検索したところ、The 33d Infantry Division Historical Committee (仮訳:第33歩兵師団歴史委員会) が1948年に出版した軍隊史『The Golden Cross: A History of The 33d Infantry Division in World War II (仮訳:黄金の十字団ーー第二次世界大戦における第33歩兵師団の歴史ーー」、以下『The Golden Cross』)』がヒットしました。*2

余談ですが、Washington Postが2011年9月に掲載した追悼記事「Sanford H. Winston, WWII hero who became HEW spokesman, dies at 90」によると、軍隊史『The Golden Cross』を執筆したのは第136連隊出身のウィンストン氏で、1946年に軍隊史の執筆業務を任命されたそうです。ニューギニアの戦い、モロタイ島の戦い、フィリピンの戦いに参加し、また1945年5月時点で中尉であったとのことなので、戦時中は第136連隊の隊員として任務に就いていたのでしょう。

archive.org

第33師団や第136連隊の進駐時代の動向については、『The Golden Cross』の第19章Occupationに詳しい情報が記されています。例えば、第33師団が上陸した海岸や上陸後の進路について、以下のような記述があります。

At 0830 on 25 September 1945 the 130th and 136th Infantry Regiments landed abreast on Beaches Red and White near Wakayama on Honshu, Japan. (The Golden Cross, pp.359)

【拙訳】1945年9月25日午前8時30分、第130及び第136歩兵連隊は、日本の本州・和歌山市付近にあるレッド・アンド・ホワイト海岸に共に上陸した。*3

また、和歌山港上陸直後の動向については以下の通り。

It became imperative for the infantry units to reach their posts without delay since no bivouac areas were available. (...) Troops were marched to the Wakayama railroad terminal and loaded aboard modern coaches for the ride to the Kyoto-Kobe-Himeji sector assigned the 33d Division. (The Golden Cross, pp.360)

【拙訳】野営地に適した場所が[和歌山近辺には]なかったため、遅滞なく任務地に到着することが両歩兵部隊にとって必要不可欠だった。(...)両部隊は和歌山市の鉄道ターミナルに進軍し、近代的な車両に乗せられて、第33師団に割り当てられた京都・神戸・姫路地域へと展開した。

第6軍全体の管轄地は、東側から、新潟県山梨県を除く中部地方(長野県・静岡県富山県岐阜県・愛知県・石川県・福井県)、近畿地方、中国地方、沖縄県を除く九州地方の全30府県に及んでいました。第33師団の管轄範囲は6つの府県(大阪府京都府兵庫県滋賀県福井県・石川県)にまたがり*4、第6軍の管轄エリアの五分の一を担当していたようです。

【参照】SCPAIN-2:進駐軍の管轄エリア(進駐直後)

当初、第33師団は神戸市内に拠点を置いていましたが、10月中旬ごろには神戸・姫路・宝塚へと拠点の範囲を広げ、同三市の武装解除(日本軍の解体)を完了すると、10月末からより内陸の地域に新しい拠点を増やしていきます。

Map 29. Division occupation stations (The Golden Cross, pp368)

上の図は第33師団の各組織が1945年10月末以降に拠点を置くことになっていた各予定地を示しています。「1 BN 136 (第136歩兵連隊第1大隊)」は福井県敦賀市へ、「2 BN 136 (第136歩兵連隊第2大隊)」は石川県金沢市へと派遣され、「3 BN 136 (第136歩兵連隊第3大隊)」は「HQ 136 (第136歩兵連隊司令部)」と共に引き続き滋賀県大津市での任務に駐屯していました。この中で注目したいのは、大津市に派遣されている「HQ 136」です。滋賀県立図書館のデジタル展示「占領下の滋賀~GHQとその時代~」によれば、当時大津市にやってきた進駐軍は「米軍第6軍136連隊のカーベーニー大佐」に率いられていました。

『The Golden Cross』の第3章Hawaii によると、1942年4月に第136連隊が第33師団へ組み込まれた当初はWilliam Henry Draper Jr大佐に率いられていましたが、ドレイパー大佐がドイツ方面へ異動になったことにより、第136連隊は1944年3月14日付でRay E. Cavenee中佐(50歳)へと引き継がれ、またこの人事異動によりCavenee中佐は翌4月大佐へと昇格しました。*5  この人事異動は戦後になっても変更がないようなので、滋賀県大津市に進駐した第136連隊を率いていたのは、このCavenee大佐と同一人物だと思われます。

念のため、第33師団の軍隊史『The Golden Cross』に記載されている第136連隊の動向について、もう少し詳しく見てみます。以下は第19章Occupationで説明されている、第6軍司令官クルーガー大将が京都市の担当部隊を決めた際の経緯です。

An excellent assignment fell to the 136th Infantry. The Bearcats were hand-picked by General Krueger to serve in immediate support of Sixth Army Headquarters in Kyoto. During the planning phase of the occupation a regiment from another division was initially selected for this key assignment. When informed of this choice, the army commander directed his staff to junk the plan and substitute a 33d Division regiment. Colonel Cavenee's command was gratified that its efforts on Kennon Road and Skyline Ridge were appreciated at such a high level. (The Golden Cross, pp.364)

【拙訳】ある素晴らしい任務が第136歩兵連隊にもたらされた。勇猛果敢な戦士たちは、クルーガー大将によって京都の第6軍司令部を直ちにサポートするよう抜擢されたのだ。この重要任務について、占領の構想段階では本来他の部隊が選ばれていた。しかし部隊の選定が伝達されると、クルーガー大将は計画をご破算にして、第33師団から別の連隊を割り当てるようにと部下たちに指示した。Cavenee大佐の部隊は、Kennon RoadとSkyline Ridgeでの尽力がこれほど高く評価されているのかと大いに喜んだ。

本文の時系列上、この急な任務地の変更は9月下旬には決定したように読めます、が、368ページの任務予定地の地図と整合性が取れない(京都市の管轄が第130連隊第1大隊になっている)ので、細かな時系列に関してはもう少し調査が必要でしょう。また、NARA Archivesで見つけた他のGHQ関連の文献を読むと、第136連隊は京都市だけでなく、京都府全域の管轄権を持っていたかのような書かれ方をしている資料もあるのですが、英語だと京都府京都市も「Kyoto」と短縮して呼びがちなので、府(Prefecture)の話をしているのか、市(City)の話をしているのか、警戒しなければなりません。(GHQのCIE(民間情報教育局)の資料に「Kyoto ken」と書かれているのは、いったいどういう事なんだろう……。)

とりあえず、Cavenee大佐が第136歩兵連隊の指揮官として大津市に派遣される一方で、第6軍司令官のクルーガー大将の采配により京都にも自由に出入りできたらしいことを考えると、カヴェニー大佐(コーペニー大佐)=カーベーニー大佐=Colonel Caveneeである可能性はかなり高いように思います。

あとこのあたりの資料↓を調べると第136連隊がどのTransportation Divisionでフィリピンから和歌山港に移動したかなどの情報を入手できるのですが(たしかTRANSDIV38のはず)、話が脇に逸れまくるのと文章化するのに疲れてしまったのとで元気がないので、あとは誰かできる人よろしく頼みます。

NAID: 77578793: COMTRANSDIV 38 - War Diary, 9/1-30/45

NAID: 77485800: COMTASK-UNIT 54.6.13 - Rep of opers in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77485768: COMTRANSDIV 33 (TEMP.) - Rep of opers in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77501899: COMTRANSDIV 56 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77559000: COMPHIB GR 8 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25/45-10/25/45

NAID: 77501824: COMTRANSRON 14 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

 

余談ついでに、もう一つ。1945年10月末は米軍兵たちが復員し、本国へ帰国するため赴任地をどんどん離脱していく時期でもありました。第33師団では欠員による昇級が頻繁に行われ、人手不足の穴を若くて経験不足の兵士で埋める状況になっており*6、業務の引き継ぎはおろか、通常の情報伝達すらままならない状況であったと思われます。また、京都に司令部を置く第6軍と東京に司令部を置く第8軍では物理的に距離が離れているため、例えば東京に本部のあるCIEと横浜に司令部を持つ第8軍のように、密な情報交換や個人間のコミュニケーションを通じて連携を取るのは尚更難しかったのではないでしょうか。

こうしたGHQや米軍内部の事情が、10月23日の発出から一か月以上たっているにも関わらず「軍事作戦部長カールソン大佐、及び第136連隊のカヴェニー大佐にはSCAPIN-181が下達されていない様子だった(第6軍の憲兵司令官のスドボウル大佐は知っていたかも?)」という京都府木村知事の評価に繋がったであろうことは想像に難くありません。

→つづき→

hayyu54023.hatenablog.com

*1:GHQ SCAPとGHQ AFPACの違いについては、アジア歴史資料センターアジ歴グロッサリー「連合国軍最高司令官総司令部」を参照のこと。

*2:第33歩兵師団は記章が黒字に金の十字である。((詳しくはWikipedia記事「33rd Infantry Division (United States)」を参照のこと。

*3:米軍は当時、和歌山湾の上陸地にRed Beach、White Beach、Yellow Beachといったコードネームが付けていた。

*4:The Golden Cross, pp. 361

*5:The Golden Cross, pp.34-35

*6:The Golden Cross, pp.369