54023通りの空論

ねむねむ

【和訳】J.K.ローリングの声明文(6月10日付)※追記あり

JKローリングの声明文、適当な日本語訳がなかったのでざっくり訳しました。

日本語圏でも「JKRはTERF」「JKRはTERFじゃない」と色々言われていますが、英語の読めないJKローリングファンにものすごくアンフェアな状況では?と思ったので…。

あまり推敲していないので、訳抜け・誤字脱字等ありましたら恐縮です。もう疲れたよパトラッシュ……

※ですます調でうっかり訳しちゃったので、死ぬほど長いです。14000字くらい。原文は3600 wordくらいなので、そこまで長くないです。

※6/15 13:41 menstrator、people with vulvaについて追記しました。

※11/11 23:52 しばらく「下書き」に下げてたのですが、やはり日本語の訳がないと日本の読者が不便かなと思い、再度公開します。何度読み返しても「さすがプロの小説家だなあ」と感慨深くなるお上手な物言いで「トランスジェンダーには性犯罪者予備軍がまぎれている。だから、性犯罪を防ぐためにトランスジェンダーをシス女性のための空間から排除するのは仕方がないことだ」と犬笛を鳴らしているだけの内容です。原文の英語でも、非常に理性的なトーンで落ち着いた物言いをしているのですが、感情的・けんか腰な物言いをしていないだけで、その内容・ロジックはトランスジェンダー差別主義者の言い分でしかありません。「ね、怖いでしょう?あなたもそう思うでしょう?」と読者の共感を誘いつ煽りつ、JKローリングの視点に読者を引きずりこもうとするタイプ文章なので、自分の考えや視点がはっきりしていない人は簡単に騙されますから注意してください。

※JKRの声明文を懇切丁寧に検証し、声明の内容がトランス排除的な物言いに他ならないと解説してくださっているA.J.Carterさんの連ツイはこちらです。(全文英語、和訳はここからどうぞ。長い(とても長い)です。)

 TERF戦争。

J.K.Rowling Writes sbout Her Reasons for Speaking out on Sex and Gender Issues

「J.K.ローリングがSexとGenderの問題について声を上げる理由」

www.jkrowling.com

 

この記事を書くのは、簡単ではありません――理由の数々はこのあと、すぐに明らかになります――ですが、自分自身のことについて、説明するべき時が来たように思います。有毒なるものに取り囲まれた、ある問題について。私には、こうした有毒なるものに、何かを加えたいという意図はありません。

 

詳細を知らない方々へ:2019年12月に、私はMaya Forstaterを支持する旨をツイートしました。彼女は税金関係の専門家ですが、「トランスジェンダー嫌い(トランスフォビック)である」と見なされたツイートが原因で仕事を失いました。Forstaterは自身の件を労働裁判に持っていき、「生まれつきの性別(sex)は生物学的に決定づけられているという哲学的な信念が、法律上保護されているか否か裁定してほしい」と判事に請願しました。Taylor判事は「否」の判決を下しました。

 

私がトランスジェンダー関連の問題に興味を持ったのは、Maya Forstaterの裁判が起きる2年ほど前、ジェンダーアイデンティティ性自認)の概念に関する議論を詳しく追っていたころまで遡ります。トランスジェンダーの方々にお会いしたり、トランスジェンダーの人々、ジェンダー問題の専門家、インターセックス(intersex・両性具有)の人々、心理学者、保護支援活動の専門家(safeguarding experts)、ソーシャルワーカー、医者などの手によって書かれた種々様々な本、ブログ、記事を読み、オンライン上でも、伝統的な媒体[新聞や雑誌・テレビ?]でも議論の流れを追いかけてきました。ある一面において、こうした問題に対する私の関心は、職業的なものでした。なぜなら私の連載している推理小説は、現代が舞台のお話で、私の創作した架空の女性探偵は、こうした問題に本人が興味を持ち、影響を受ける年齢だからです。しかし別の一面では、[こうした問題に対する私の関心は]非常に個人的な理由によるものであった、ということを、これから説明しようと思います。

 

私が情報収集をしたり、学んでいる間中ずっと、私のツイッターのタイムラインではトランス活動家からの非難や脅迫がブクブクと泡立っていました。これはもともと、一つの「いいね」から始まりました。ジェンダーアイデンティティ性自認)やトランスジェンダー関連の問題に興味を持つようになったころから、私は自分の関心を引いたコメントを[携帯電話で]スクリーンショットするようになりました。あとで調べたくなるかもしれない事柄を、自分に思い出させるための、一つの方法として。あるとき、私はうっかり、スクリーンショットを撮る代わりに「いいね」ボタンを押していました。そのたった一つの「いいね」が、誤った考えの証拠であると見なされて以来、低レベルでしつこい嫌がらせが始まるようになりました。

 

何か月か後になって、私はあの「事故いいね」の罪をくり返しました。Magdalen Bernsをツイッターでフォローしてしまったのです。Magdalenは非常に勇敢な若手のフェミニストかつレズビアンで、末期の浸潤性脳腫瘍を患っていました。私が彼女をフォローしたのは、彼女に直接連絡をとりたかったからですし、実際に連絡を取ることもできました。しかし、Magdalenが生物学的な性別(biological sex)の重要性を強く信じている人であり、レズビアンはペニスを有するトランス女性とデートしないという理由で「偏見持ち」と呼ばれるべきではないと信じている人であったがために、ツイッター上のトランス活動家たちの脳内で点と点とがつなぎ合わされ、SNS上の[私に対する]嫌がらせは一段とひどいものとなりました。

 

私がこうしたことについて全てお話しするのは、自分がMaya Forstaterを支持すると表明したら一体どのような事態になるのか、私はきちんと理解していたことを説明するためです。その時点で、おそらく4度目か5度目のキャンセレーション*だったと思います。[物理的・身体的な]暴力の脅迫があるだろうと予想していました。私が「文字通り、トランスジェンダーの人々を私のヘイトで殺している」と言われるだろうと。「まんこ」だの「クソ女」だのと言われ、もちろん私の書いた本は燃やされるであろうと。もっとも、一人だけ、特別虐待的(abusive)な人が「肥料にした」と言ってきたことはありました。

*著名人の昔の言動やSNS投稿を掘り出して、前後の文脈を無視して非難する現象を「キャンセル・カルチャー」と呼びます。JKローリングの視点で書くなら「これまでにも、自分の発言の一部を切り取って『あんな発言をするってことはTERFだ』と反トランス女性的な発言を捏造・炎上させられ、社会的に沈黙させられることが何度かあった」という風になるでしょうか。

 

キャンセレーション後のことで私が予想していなかったのは、雪崩のように殺到し、私に降り注ぐ手紙やメールのシャワーでした。圧倒的大多数は私に好意的で、お礼を述べ、私を支持するものでした。そうした手紙・メールの数々は、様々な分野の人々から送られてきました。共感的で知的な人々や、性別違和・トランスジェンダーの人々と関わる仕事に携わる人々です。どの人たちも皆、社会政治的な概念が[現実の]政治や、医療や、保護支援活動(safeguarding)に与えている影響を大変憂慮していました。皆、[そうした社会政治的な影響が]若者たち・同性愛者に与える危険性を心配し、大人の女性や女の子たちの権利が損なわれることを心配していたのです。中でもとくに心配していたのは、誰のためにもならない――とりわけ若いトランスジェンダーの人々のためにならない――「怖い」という雰囲気でした。

 

Maya Forstater支持のツイートをする前と後の何か月間か、私はツイッターの世界から離れていました。なぜなら、私の心の健康にとって良いことは何もなかったからです。私がツイッターの世界に戻ってきたのは、このパンデミック期間中に、無料の児童書を皆さんと共有したかったからにすぎません。[にもかかわらず]、瞬く間に、自分が善良で、心優しく、進歩的な人間だと信じて疑わないトランス活動家たちが、私のタイムラインに大挙して舞い戻ってきました。私の言論を監視する権利が、[JKRはトランスジェンダーを]ヘイトしていると責める権利が、私を女性嫌悪的な侮蔑語(misogynistic slurs)、とりわけ――この議論に関わっている女性ならば誰もが知っているであろう――「TERF」という言葉で呼ぶ権利が、自分たちにはあるのだと信じている人たちです。

 

そんな言葉は知らない、という人々へ――とはいえ、どうしてそんな言葉を知る必要があるのでしょう?――「TERF」とは、トランス活動家たちの造った頭字語[頭文字を集めた言葉]で、Trans-Exclusionary Radical Feminist(トランス排外主義的ラディカル・フェミニスト)を指します。実際には、とても大きな範囲の、様々な分野の女性たちが「TERF」と呼ばれる状況が起きていますが、そのうちのほとんどの女性はラディカル・フェミニストであったことすらありません。いわゆる「TERF」とやらの例は、同性愛者を子に持つ母親で、同性愛を理由にした嫌がらせから逃れるために性別移行したいと子供が言い出すのではないかと恐れている女性から、フェミニスト的な考えをまったくもっておらず、Marks&Spencerは「自分は女性だ」という男性がいたら誰でも女子更衣室に入って良いことになっている店だから絶対に行かない、と誓っている年配の女性まで、幅があります。皮肉にも、ラディカル・フェミニストは、トランス排外的ではありません。ラディカル・フェミニストは、自分たちのフェミニズムの範疇にトランス男性をも含めているのですから。彼らはもともと女性に生まれた、という理由で。

 

しかし、「TERF的な言動」に対する非難は、私がかつて尊敬した数々の人々、機関、団体を怖気づかるのに十分効果的でした。みな、園庭での作戦に尻込みしてしまったのです。「トランスフォビックだって言われちゃう!」「トランスジェンダーの人が嫌いなんだって噂されちゃう!」その次はなんでしょう。ノミでもついてるって?生物学的女性(biological woman)として言わせてもらいますが、権威ある立場に就いている方々の多くは、[睾丸を]二つお生やしなるべきではありませんか。(文字通り「可能」であることは言うまでもありません。「人間が性的二型の種でないことは、カクレクマノミが証明している」と主張する人たちによれば。)

 

なら、私はどうしてこんなことをしているのでしょう? なぜ声を上げるのでしょう? なぜ黙って情報収集をして、静かに身を潜めておかないのでしょう?

 

それは、私にはトランスアクティビズムの新たな潮流を心配し、声を上げる必要がある、と感じる理由が5つあるからです。

 

一つ目の理由ですが、私が所有している、あるスコットランドの慈善信託は、社会的はく奪の軽減に特化しており、女性や子供[の社会的はく奪の問題]に重点を置いています。数ある支援の中には、女性受刑者や、家庭内暴力性的虐待のサバイバーを対象としたプロジェクトもあります。また、MS(多発性硬化症)という、男性と女性とで症状が大きく異なる病気の医学研究に出資しています。私にとって自明となって久しいのは、トランスアクティビズムの新たな潮流が、私が支持している理念(cause)に著しい影響を与える(もしくは、条件が満たされたならば与え得る)、ということです。なぜなら、トランスアクティブズムの新しい潮流によって、法律上の「生まれつきの性別(原文sex)」の定義が浸食され、「社会的な性別(gender)」に置き換えられようとしているからです。

 

二つ目の理由は、私が元教員で、子供のための慈善団体の創設者でもあることから、教育と保護支援活動の両方の分野に関心を持っている、というものです。他の人々同様に、トランスジェンダーの人々の権利に関する運動が、両分野に与える影響を大変憂慮しています。

 

三つ目の理由は、禁書の作家として、言論の自由に関心があり、公式に[言論の自由を]擁護してきたからです。たとえそれが、ドナルド・トランプであったとしても。**

**2016年5月、PEN/Allen Foundation Literary Service Awardの受賞スピーチを指す?

 

四つ目以降は、とても個人的な理由になります。私は、若い女性たちの間で性別移行を望む声が爆発的に高まっていることを憂慮しています。そして、性別移行した後に、自分の身体を取り返しがつかないほど変容させ、受胎能力を奪われる一歩を歩んでしまったことを後悔して、detransition(自分の本来の性別(orignal sex)に戻ること)をしているように見える人たちの数が増加していることに憂慮しています。中には、「自分が同性に惹かれることを自覚してから性別移行を始めたけれど、それは部分的に、自分の家族や社会に根づくホモフォビアに触発されたからだった」と言う人もいます。

 

ほとんどの人たちは気がついていないでしょう――私は気がついていませんでした、この問題についてきちんと調べるようになるまでは――10年前まで、異性への性別移行を望む人の大半は男性でした。その割合は、今では逆転しています。イギリスでは「性別移行の手術を勧めた未成年女性(girls)」の人数が4400%増加しました。この数値には、自閉症の未成年女性たち(girls)が過剰に診断・計上されているのです。

 

同じ現象はアメリカでも起きています。2018年、アメリカの外科医兼研究者のLisa Littmanは調査を開始しました。あるインタビューで、彼女はこう述べました。

 

「インターネット上で、親たちは非常に特異な型のトランスジェンダー自認(原文transgender-identification)について説明していました。複数の友達が、場合によってはグループ内の友達全員までもが、同時期にトランスジェンダーであることを自認したのです。社会的伝染と仲間の影響(social contagion and peer influence)を潜在的要因として考慮しないなら、私はあまりにも不注意だったでしょう。」

 

Littmanはまた、TumblrRedditInstagramYoutubeがRapid Onset Gender Dysphoria(ROGD)の要因となっており、トランスジェンダー自認の領域において「若い世代は島宇宙化されたエコーチェンバーを形成した」と考えています。

***ROGD、日本語に訳すとしたら「急速発現性性別違和」みたいな用語? Littmanが2016年7月からウェブ上で、2017年2月から自身の論文で主張している、かなり新しい理論のようです。

 

Littmanの論文は、大変な騒ぎを巻き起こしました。Littmanは偏見を持っている、トランスジェンダーの人々について誤った情報を広めていると非難され、彼女自身と彼女の仕事の信用を落とすための津波のようなハラスメント(abuse)と申し合わされたキャンペーン運動にさらされました。ジャーナルはLittmanの論文をオンラインから取り下げ、再度査読をしてから再掲載することになりました。ところが、彼女のキャリアはMaya Forstaterと似たような損害を被りました。Lisa Littmanは無謀にも、トランス活動家の中心的教義の一つ「人間の性自認は、性的指向と同じく生得的(innate)である」に挑んでしまったのです。トランス活動家たちは、トランスジェンダーになるよう誰かを説得することは不可能だ、と主張しました。

 

現在のトランス活動家たちの主張は、性別違和のティーンエイジャーに性別移行を許さないのであれば、彼ら・彼女らは自殺してしまう、というものです。精神科医Marcus Evansは、ある記事で、自身がTavistock(イングランドにあるNHSジェンダークリニック)を辞めた理由について、以下のように語っています。性別移行を子供たちに許さなければ、彼ら・彼女らが自殺してしまうという主張は、「この分野における研究結果や信頼に足るデータとは、まったく一致しません。また、私[Evans]が心理療法士として何十年も働く間に遭遇した事例の数々とも一致しません」。

 

若いトランス男性の人々の書いた文章は、とても繊細で知的な人々のグループ像を露わにします。彼らの性別違和についての文章を、不安・[周囲からの]断絶・摂食障害自傷行為・自己嫌悪に関する洞察力に満ちた説明と共に読めば読むほど、私は疑問に思いました。もしも私が30年遅く生まれていたら、私も性別移行したくなったのではないだろうか、と。女性であること(womanhood)から逃れる魅力は、大変大きなものだったでしょう。私はティーンエイジャーのころ、重度のOCD(強迫性障害)に苦しみました。もしも私が、自分の周囲には見出すことのできない居場所や思いやりを、オンライン上に見出していたならば。私はきっと、自分に言い聞かせていたことでしょう。「息子の方がよかった」と公言する父の息子になってしまえ、と。

 

ジェンダーアイデンティティについての理論を読むときに私が思い出すのは、自分が青春時代に、どれほど精神的に非・性的に感じていたか、ということです。コレットの、自分は「精神的両性具有者(mental hermaphrodite)」であるという描写、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「未来の女性が、自分の生まれつきの性別(sex)によって課せられた制約の数々に憤るのは、極めて自然なことです。真の問いは、『なぜ彼女は[その制約の数々を]拒否すべきなのか』ではありません。むしろ『なぜ彼女は[その制約の数々を]受け入れるのか』です。」という言葉を思い出すのです。

 

1980年当時の私にとって、現実的な「男性(man)になれる可能性」は存在しませんでした。私が精神面の健康問題と――数多くのティーンエイジの女の子たちに、自身の身体との戦争を始めさせる、あの――じろじろと性的に凝視されたり、品定めされたりする問題を乗り越えるには、本と音楽しかありませんでした。幸運にも、私は自分にとっての「他者性」、「女性であることへの葛藤」といった気持ちに気がつきました。そうした「気持ち」はすでに女性の作家やミュージシャンたちの作品に反映されており、「性差別的な世界は、女性の身体を有する者たち(the female-bodied)にありとあらゆる物を投げつけるけれど、自分の頭の中でまで女の子らしくフリルたっぷりに、服従的に感じなくても構わない。混乱し、憎悪し(dark)、性的にあるいは非・性的に感じたり、自分が何者なのか自信がないと感じたりしても大丈夫なのだ」と私に保証してくれました。

 

 ここで、私がはっきりさせておきたいのは、こういうことです。性別移行は、性別違和を抱える一部の人たちにとっての解決策になります。その一方で、私は広範囲の調査を通じて、性別違和を抱えるティーンエイジたちのうち、60%から90%は性別違和の状態から卒業する(grow out)という研究結果があることも知っています。何度も何度も「トランスジェンダーの人に会えばいい」と言われてきました。既に会っているのに。何人かの若者たちに会いましたが、皆魅力的な人たちでした。それから、私よりも年配の、素敵な自称・性転換女性(self-described transsexual woman)****とも偶然知り合いです。彼女は過去の、自分がゲイの男性であった時代についてオープンですが、彼女を女性以外の存在として考えることは、私には難しいことでしたし、彼女は性別移行したことを大変満足している、と私は考えています(し、満足であってほしいです)。しかし、年齢の高さゆえに、彼女が経験した診断、心理療法、段階的転換のプロセスは、長く厳しいものでした。現在の爆発的なトランスアクティビズムの潮流は、かつて性転換(sex reassignment)の候補者たちが通過しパスするよう課されていた厳重なシステムのほとんど全てを取り払うように要求しています。手術を一切受けるつもりがなく、ホルモン剤を摂取する気もない男性が、いまや性別確認証明書(Gender Recognition Certificate)で自衛し、法律的に女性になることができるのです。多くの人たちがこのことに気づいていません。

****「性転換女性」という訳語について。JKローリングは「トランスジェンダーの女性(transgender woman・トランス女性)」と、「トランスセクシュアルの女性(transsexual woman・性転換手術を経験済みの、元男性の女性)」とを明確に区別していると判断し、ここでは「トランス女性」とは異なる訳語をあてています。

 

私たちの生きている時代は、私自身かつて経験したことがない、もっとも女性嫌悪的な時代です。1980年代の私は、もしも娘を産んだなら、私が享受したよりももっと良いもの[例えば環境や世界を]享受するだろう、と娘たちの将来を想像していました。しかし、フェミニズムへのバックラッシュとポルノで飽和したインターネット文化との狭間で、女の子たちにとって、状況は著しく悪化しているように思います。今日ほど、女性が侮辱され、人間性をはく奪されている光景を見たことはありません。

 

長年にわたって性的暴行と「やつらをまんこで掴む」という大自慢を非難されてきた自由世界のリーダーから、セックスを提供しない女性たちに憎悪を向けるインセル不本意の禁欲主義者)ムーブメント。そして、TERFは殴られ、再教育される必要があると断言するトランス活動家まで。政治上の立場を横断して、男性たちは合意しているようです。「女どもの自業自得だ」と。どこであれ、女性は「黙れ」なり「座れ」なり命令されているのです。

 

私は「生まれついた性別の身体(sexed body)に女性性が存在するのではない」と論じる、ありとあらゆる主張を、生物学的女性たち(biological women)に共通体験なんてものはないとする、ありとあらゆる根拠なき主張を読みました。私はこうした主張も、非常に女性嫌悪的で退歩的であるように思います。もう一点明らかなことは、生まれつきの性(sex)の重要性を否定しようとする動機の一つが、「女性たちは、自分たちの生物学的リアリティ(biological reality)を持っている」という考えを、また――全くもって恐ろしいことですが――「女性たちの体験の統合がまとまりのある政治的階級である」という考えを、一部の人々が意地の悪い性別隔離主義的な思想だと見なし、打ち崩そうとしているからです。私がこの2、3日のあいだに受け取った何百通ものメールは、こうした[「女性たちの『生物学的リアリティ(biological reality)』という共通体験」や政治的階級に関する]考えのゆっくりとした崩壊は、他の人々にも同様に憂慮されている、ということを証明しています。女性たちは、トランスジェンダーの人々のアライであるだけでは、不十分なのです。女性たちは、自分たちとトランス女性とのあいだに、どのような物理的違いもないことを承認しなければならないのです。

 

しかし、私が言う前から多くの女性たちが言ったきたように、「女性」はコスチュームではありません。「女性」とは、男性の頭の中にある概念ではないのです。「女性」とは、ピンク色の脳みそではありません。近年、どういうわけか「進歩的である」と吹聴されるようになった「[女性は]ジミー・チューを好む」だとか、その他諸々の性差別的な概念ではないのです。ましてや、女性の人たち(female people)を「月経のある人たち(menstrator)※」だとか「外陰部のある人たち(people with vulva)※」と呼ぶ、あの「インクルーシブ」な言葉遣いは、数多の女性たちにとって、自分たちの人間性をはく奪し、侮辱するかのような印象を与えています。そのような言葉遣いが不適切ではなく、気遣いのあるものだ、とトランス活動家が考える理由は分かります。しかし、そのような屈辱的な罵倒を、暴力的な男性たちからツバでも吐くように投げかけられた経験のある私のような人たちにとって、[そのような言葉遣いは]中立的ではありません。それは敵意に満ちた、排外的な言葉遣いなのです。

※追記。menstrator、people with vulvaについて。中立的(非・差別的)な意味合いで訳すと「月経のある人たち」「外陰部のある人たち」になりますが、差別的な意味合いで訳すと「経血漏らし」「まんこ持ち」のような言葉になります。日本語では、文脈によって全く別の言葉になってしまいますが、英語では非・差別的な文脈でも、差別的な文脈でも、同じmenstrator、people with vulvaが兼用される状態のようです(JKRの言葉を信じるならば)。この前提に立てば、なぜJKRがこれらの単語・フレーズを問題視しているのかが分かりやすくなると思います。

 

こうしたことから、私が深く憂慮している五つ目の理由が生まれます。現在のトランスアクティビズムの潮流がもたらす結果です。

 

私は20年以上、世間から注目されてきましたが、自分が家庭内暴力と性暴力のサバイバーである、という話を公にしたことはありませんでした。自分の身に起きたことを恥じていたからではありません。[過去の記憶を]再訪し、思い出すことが耐えがたいほど苦痛だからです。また、1回目の結婚のときの娘を守らなければ、と思う気持ちもあります。彼女のものでもある物語を、自分だけの物語であるかのように主張したくなかったのです。ですが、少し前に「もしも私の人生の一部について、隠し立てせずに公にしたらどう思う?」と娘に質問したところ、彼女はそうしたら良いと私を励ましてくれました。

 

私がこうしたことを今お話しするのは、同情を引きたいからではありません。私とよく似た過去を持つ、単一性の空間(single-sexed spaces)について心配することで「偏見持ち」と侮辱されたことのある、数多くの女性たちと連帯したいからです。

 

私は1回目の暴力的な結婚から、いくつかの困難を経てなんとか逃げ出しました。今は、本当に善良で信念のある男性と結婚し、百万年かけても実現するとは到底期待できなかったような安全で安心感のある暮らしをしています。しかし、暴力と性的暴行が残した傷の数々が消えることはありません。どんなに愛されていようとも。どんなにお金を稼いだとしても。私が昔から驚きやすいことは、家族の中ではジョークになっていて、私ですら面白いと思っています。ですが、私は祈っているのです。どうか自分の娘たちが、突然の大きな物音や、自分に近づいてくる音が聞こえない状況で背後に人が立っていたことに気づくのを、私と同じ理由で毛嫌いすることが絶対にありませんように、と。

 

 もしも貴方が私の頭の中を覗いて、トランス女性が暴力的な男性の手によって殺される話を読むたびに、私がどんな気持ちになるのかを知ることができたなら、私の頭の中に、彼女たちと連帯する気持ち、彼女たちを同胞と思う気持ちがあることに気づくでしょう。 暴力的な男性の手によって殺されたトランス女性たちが、地球上で過ごした最後の何秒間かに体験した恐怖を、私は理屈抜きの直感で察することができます。なぜなら、私もそういった盲目的な恐怖の瞬間を理解していたからです。私が生きていられるかどうかは、私を攻撃する人の不安定な自制心にかかっている、と気がついたあの瞬間を。

 

私は、トランスジェンダーを自認する人々(trans-identified people)の大多数が、他の人々になんの脅威ももたらさないどころか、私が説明した数々の理由により、むしろ脅威にさらされているのだと考えています。トランスジェンダーの人たちは守られる必要がありますし、守られなければなりません。女性と同じように、彼ら・彼女らは、性交渉の相手(sexual partners)に殺される可能性がもっとも高いのです。性風俗業で働くトランス女性、中でも有色人のトランス女性は、とくにリスクにさらされています。私の知っている他の家庭内暴力や性的暴行のサバイバーたち同様、男性に虐待されたトランス女性たちに対し、私はただただ共感と連帯の念を覚えるばかりです。

 

つまり、私はトランス女性たちに安全でいてほしいのです。と同時に、生まれつきの(原文natal)女の子たち、女性たちの安全を損ないたくもないのです。浴室や更衣室の扉を、自分が女性であると信じている、感じている男性ならば誰かれ構わず開くとき――そして、すでに私が書いた通り、いまや性別確認証明書は手術もホルモン剤も必要としません――貴方は、中に入りたいと思う全ての男性たちに、誰かれ構わず扉を開いているのです。それが、純然たる事実です。

 

土曜日[6/6(土)]の朝に、スコットランド政府が物議をかもしている性別確認の法案を推し進めている、というニュースを見ました。その法案が効力を持つようになれば、「女性になる」必要のある男性は皆、自分が女性であるという言うようになる、ということです。とても現代的な言葉を使うなら、私は「キレ」ました。トランス活動家たちによるSNS上での容赦ない攻撃に打ちひしがれながら、子供たちがロックダウン中に私の本のために描いてくれた絵の感想を述べるためだけにあの場にいる時間、私は土曜日の大半を、自分の頭の中の暗い場所で過ごしました。私が20代のころ苦しんだ、深刻な性的暴行の記憶の数々が何度も何度もくり返し甦ってきたのです。あの暴行は、私が弱い立場であったあの時あの空間で、男がチャンスに乗じたから起きたのです。私はその記憶の数々を頭から締め出すことができませんでした。そして、私の政府の、女性や女の子たちの安全をぞんざいに扱っている、と私が考えているやり方に対する怒りと失望を我慢しがたいことに気がつきました。

 

土曜日の夜遅く、寝る前に子供たちが描いた絵をスクロールしながら、私はツイッターの第一のルール――絶対に、絶対に、微妙なニュアンスに富んだ会話ができると思ってはいけない――を忘れ、女性を侮辱するような言葉遣いに反応してしまったのです。私は生まれつきの性別(sex)の重要性について声を上げ、以来、代償を支払い続けてきました。私はトランスジェンダー嫌いで、私はまんこで、クソ女で、TERFで、キャンセルされ・殴られ・死ぬのは自業自得だったのです。ある人は「お前はヴォルデモートだ」と言いました。明らかに、私が理解できる言語はそれしかないと信じているようでした。

 

あの認知度の高いハッシュタグをツイートする方が、よっぽど簡単でしょう――なぜならもちろんトランスジェンダーの人々の権利は人間の権利で、もちろんトランスジェンダーの人々の命を蔑ろにしてはならないからです――目覚めのクッキーをすくい上げ*****、キラキラとした美徳の残光に浴するのです。そうした行為には、喜びが、安堵が、同調することへの安心感があります。シモーヌ・ド・ボーヴォワールも書いたように、「疑う気持ちがなければ、盲目で拘束された状態をより居心地よく我慢することができます。自身の解放に向けて働きかけるよりも。死者たちも、地面の方が適しているのです。生者たちではなく」。

*****目覚めのクッキーは原文では「woke cookies」になります。「woke」は、社会的不正義や人種差別に対して敏感であること、反対的であること(→目覚めていること)を指します。「woke cookies」というフレーズを英語で検索しても見つけられなかったのですが、文脈的に「叩きやすいネタ(を拾って善人っぽい感覚を満喫する)」みたいな意味かな、と思います。

 

大変な人数の女性たちが、正当な理由からトランス活動家たちを恐れています。なぜ私が知っているのかと言うと、たくさんの女性たちが私に連絡を取り、自分たちの話を聞かせてくれるからです。彼女たちは恐れているのです。インターネット上に個人情報をさらされることを。自分たちの仕事や生計手段を失うことを。暴力を。

 

絶え間なく標的にされ続けることは、果てしなく不愉快です。ですが、明らかな実害を生んでいる、と私が信じている、政治的階級・生物学的区分としての「女性(woman)」を崩壊させることを目論み、捕食者に隠れ蓑を提供しようとする運動に降参することを、私は拒みます。

 

言論の自由・思想の自由のために、そして、私たちの社会で暮らすもっとも立場の弱い人々――若いゲイの子供たちや、傷つきやすいティーンの子供たちや、単一性の空間(single sex spaces)に拠り所を見出しその状態を維持したいと考える女性たち――の権利と安全のために立ちあがる、勇敢な女性の、男性の、ゲイの、ストレートの、そしてトランスの人々と、私は共に在ります。アンケート調査では、そのような女性[単一性の空間(single sex spaces)に拠り所を見出し、その状態を維持したいと考える女性]が大半であるという結果が示されています。その中から、男性の暴力や性的暴行に一度も遭遇したことがないような、恵まれた、あるいは幸運な人たちを除外してください。そして、男性の暴力や性的暴行がどれほど蔓延しているのか、わざわざ学ぶ必要のなかった人たちを除外してみてください。[一体どれだけの女性が除外されるのでしょう?(否、ほとんど除外されないのでは?)]

 

私に希望を与えくれるのは、抗議し団結できる、あるいは既にしている女性たちです。そして、彼女たちには本当にきちんとした男性たち、トランスジェンダーの人たちという味方がいます。こうした議論においてもっとも声の大きいグループをなだめようとする政党群は、女性たちの懸念を、彼女たちにとって危険であることを承知の上で無視してるのです。イギリスでは、苦労の末にやっとのことで手に入れた権利が少しずつ損なわれてゆくこと、脅威が蔓延していることを憂慮した女性たちが、政党の垣根を越えて互いに手を取り合っています。私が話したことのあるジェンダークリティカルの女性の中に、トランスジェンダーの人たちを嫌っている人など一人もいませんでした。むしろ、その反対です。ほとんどの人たちは、この問題に興味を持つようになったきっかけが、若いトランスジェンダーの人たちを心配していたからなのです。彼女たち[ジェンダークリティカルの女性たち]は、シンプルに自分の人生を生きようとしている大人のトランスジェンダーの人々にとても同情的です。にもかかわらず、自分たちの支持していない活動を理由にいわれなきレッテルを貼られたせいで、バックラッシュを受けているのです。この上なく皮肉なことに、「TERF」という言葉で女性たちを沈黙させようとする試みは、より多くの若い女性たちをラディカル・フェミニズムに駆り立てたようなのです。この[ラディカル・フェミニズムの]運動が、過去数十年間に経験したこともないほどの人数の。

 

私が最後に伝えたいのは、こういうことです。私がこのエッセイを書いたのは、私のために誰かがバイオリンを取り出してくれるのではないか******、と期待したからではありません。全くもって、これっぽっちも。私は並外れた幸運に恵まれています。私はサバイバーで、確実に被害者ではありません。自分の過去についてお話したのは、この惑星にいる他のどの人間たちとも同じように、私が複雑な過去を持っていて、その過去によって私の恐怖は、関心は、意見は形作られていることを示すためです。架空のキャラクターを創作している時の、あの内なる複雑さを、私は一生忘れません。トランスジェンダーの人々の内なる複雑さに至っては、なおのこと、一生涯にわたり忘れないでしょう。

******バイオリンを取り出す(get the violins out)…皮肉orおどけたジョークで、誰かがアホな理由で悲しんでいるor怒っているときに使う表現です。仲の良い友達に言うのはOKですが、ただの知り合いや自分よりも立場が上の人(上司とか)に言うと、とても失礼な人だと思われるので、注意が必要なフレーズです。JKローリングの場合は、自分が怒ったり悲しんだりしている理由がとてもちっぽけな理由であるかのように、あえてこの表現を使っているようです。

 

私がお願いしているのは――私がお願いするのはそれだけです――[自分がするような共感や理解に]似た共感であり、理解なのです。脅迫や虐待を受けることなく、自分たちの心配に耳を傾けてもらいたいと願うという、ただ一つの罪を犯した何百万人もの女性たちにも適用されるような、共感であり、理解なのです。