54023通りの空論

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第136連隊のカヴェニー大佐を探して:後編

GHQと京都刀剣(普及版)』を読んで、京都市内の警備を担当していたカヴェニー大佐(あるいはコーペニー大佐、コーベテ大佐)がどんな人物か気になったので調べました。備忘録も兼ねて典拠を記載しているうちに文字数が多くなってしまったので、記事を前後編に分けてあります。この記事は「後編」です。

hayyu54023.hatenablog.com

※後編もわりと長めです。(約14000字)
※「GHQ 刀狩り」と検索して出てくる、よくあるタイプの悲劇感たっぷり自己憐憫どっぷりな語りとは別の角度から、それなりにきつめの話をしています。きつめの話が嫌な方にはおすすめしません。
※1940年代の英語圏では日本刀も軍刀も全て「Japanese sword」としてカテゴライズされていましたが、そんな時代背景なんてどうでもいい、という方にもおすすめしません。
※後編の終盤では日本刀を使った殺人行為、日本刀の武器としての性能や、日本刀(集合体)としての軍事的意義について書いています。日本刀を武器として扱うことに抵抗のある方(日本刀に美術品としての価値しか見出していない方)にもおすすめしません。
※途中で読むのがつらくなったらいつでも中断してください。「カヴェニー大佐とは誰なのか?」という問いには、前編で結論が出ています。後編は「カヴェニー大佐とは誰なのか?」という問いに答える内容ではありません。
※Nov 11, 2023、表示されていなかった挿入画像が表示されるよう修正しました。また、文体を優しめに変更しました。

占領期以前のカヴェニー大佐

戦後の大津・京都進駐時代のカヴェニー大佐の大まかな動向は前編で明らかになったとして、戦時中のカヴェニー大佐は第136連隊の指揮官として、日本とどのような関わりも持っていたのでしょうか? 引き続き、Internet Archiveで公開されている第33師団の軍隊史『The Golden Cross』を詳しく見ていきましょう。

同書の第5章Morotai: Jungle Warでは、カヴェニー大佐について「gruff Missourian (強面のミズーリ州生まれ)」で、「a line infantryman throughout all of his twentyeight years of Army service (過去28年間の軍歴において、一貫して戦列歩兵であった) 」*1と説明されており、1918年に20代前半で従軍してから、人生の半分以上を前線で戦い指揮する軍人として生きていた人物であることが分かります。

ファーストネーム、ファミリーネーム、階級の三点に加えて出身州も分かったら、次の課題は大佐の徴兵記録の調査です。1918年といえば、アメリカ政府が第一次世界大戦のため、18~45歳の男性市民に徴兵登録をさせていた時代です。つまり、第一次世界大戦カテゴリの従軍記録で、1918年前後に徴兵登録を行ったミズーリ州出身のRay E. Caveneeを探せばよいと思われます。

というわけで、カヴェニー大佐の徴兵時の登録情報を探していたところ、思いがけず大佐のお墓情報に遭遇してしまいました。

www.findagrave.com

ミズーリ州出身の1894年11月生まれで、第一次世界大戦第二次世界大戦に従軍し、最終ランクは大佐のアメリカ陸軍に所属していたRay Eric Cavenee氏。1944年時点で50歳 (11月が誕生日のため、3月時点では49歳)となるため、『The Golden Cross』の「第136連隊は1944年3月14日付でDraper大佐からRay E. Cavenee中佐(50歳)へと引き継がれた」という説明とも、おおよその年齢が合致します。

念のためNARAのAccess to Archival Datebase (AAD) でも「Ray Cavenee」と検索したところ、「Claim Files, 1936-2007 (Last Names A through C)」のカテゴリで1884年4月生まれのRay W Cavenee氏と1894年11月生まれのRay E Cavenee氏の2件がヒットしました。1894年11月生まれのRay E Cavenee氏のデータは1960年1月に作成された死亡記録で、1959年8月24日にカリフォルニア州で亡くなったことが分かります。出生地や誕生日の情報は記載されていませんが、ミドルネームを含むフルネーム、亡くなった日付、亡くなった州が一致しているので、墓石に刻まれた名前の人物と同一人物だと考えて間違いないでしょう。

カヴェニー大佐のフルネームや階級がある程度明確になったところで、次はCongressional Record (連邦議会議事録) の出番です。一定階級以上の軍人に関する情報、特に昇進や人事異動に関する情報は大体こちらに掲載されており、米軍関係者を探す際に非常に便利なアーカイブです。

「Ray Cavenee」で検索したところ、Senate (上院)の議事録に掲載されている大佐関連の情報は、大まかに下記の通りでした。

1921年2月28日の議事録の任命欄 (Notifications)
Volume and Section: Vol. 60, Part 4 - Senate, pp. 4071
1920年7月1日付で、少尉から中尉に昇進。

②1933年2月3日の議事録の任命欄 (Notifications)
Volume and Section: Vol. 76, Part 3 - Senate, pp. 3304
→1933年2月1日付で、中尉から大尉に昇進。

③1940年1月4日の議事録の任命欄 (Notifications)
Volume and Section: Vol. 86, Part 1 - Senate, pp.40
→1939年12月1日付で、大尉から少佐に昇進。

④1942年3月30日の議事録の任命欄 (Notifications)
Volume and Section: Vol. 88, Part 3 - Senate, pp.3203
→1942年4月4日付で、少佐から一時的に中佐扱い。

⑤1942年4月3日の議事録の人事異動確定欄 (Confirmations)
Volume and Section: Vol. 88, Part 3 - Senate, pp.3329.
→一時的な中佐扱いから、正式に中佐に昇進。

同時期の歩兵隊(Infantry)にRay Eric Caveneeと似た名前・似た階級の軍人はいないようなので、連邦議会議事録に掲載されているRay Eric Cavenee氏も、大津および京都に進駐した第136連隊の指揮官カヴェニー大佐と同一人物であると考えて間違いないでしょう。なお、1943年と1944年は海軍や海兵隊、他の後方支援部隊も含めて人事異動の掲載情報が少なく、ドレイパー大佐から第136連隊を引き継いで大佐に昇進した際の人事情報は掲載されていません。もしかしたら連邦議会議事録以外に別途収録している文献があるのかもしれませんが、現時点では未確認であることを記しておきます。

第136連隊と日本軍の関わり

カヴェニー大佐の戦争体験について、第136連隊が第6軍司令官クルーガー大将に抜擢されるきっかけとなったKennon RoadとSkyline Ridgeを中心にもう少し掘り下げておきましょう。(注意:第136連隊は最前線で戦っていた戦闘部隊なので、日本軍との関係は基本的に血で血を洗う殺し合いです。)

Kennon Roadはフィリピンの戦い (1944-1945年)の中のルソン島の戦いに登場する地名で、ロザリオ市とバギオ市を繋ぐ山間部のケノン道路を指します。軍隊史『The Golden Cross』の第9章Action on Kennon Roadによると、カヴェニー大佐は第136連隊の指揮官として、ケノン道路の南東にあるラベイアグ(Labayug)からアリベン(Alibeng)一帯の制圧を任されており、2月下旬ごろからバギオ攻略に向けてケノン道路へ進軍しました。*2 しかし、バギオには1945年1月から日本軍の司令部が置かれていたために守備が堅く、両軍は一進一退の攻防を繰り広げ、同年4月末までルソンの山中で泥沼の殺し合いを続けることになります。

The Golden Cross, Map 12 (pp.134)

また、第136連隊が健闘したとされるSkyline Ridgeについても、同書の第14章Skyline Ridgeに詳しい記述があります。連合軍はバギオ攻略と並行して、4月上旬からアグノ川沿いの村Tebbo (GooglemapのTabuあたり)より南東に伸びる渓谷(The Gap)と交差する、北東から南西に伸びる尾根に布陣を敷き、Skyline Ridgeと呼んでいました。

The Golden Cross, Map 23 (pp248)

『The Golden Cross』の図では北が左下に向かっているので分かりにくいですが、実際の地形に当てはめると次のような位置関係になります。縮尺の関係で図には描けませんでしたが、北西の方角にバギオがあります。また、アグノ川から直線距離で西に15kmほど進むと、カヴェニー大佐の担当していたラベイアグ(Labayug)があり、ラベイアグから更に北へ15kmほど進んだ場所にケノン道路のCamp 1があります。

渓谷(The Gap)とSkyline Ridgeの位置関係

第33師団は日本軍司令部があるバギオ攻略を目標としており、市の北西方面にあるNaguilian(ナギリアン)から第130連隊を展開しつつ、市の南方面にあるケノン道路から第136連隊を北上させていました。しかし、第130連隊と第136連隊だけでは戦力不足らしいことが分かってくると、1945年3月下旬に第123連隊と第129連隊を増援部隊として第33師団に組み入れました。*3

 3月28日、第130連隊の第2大隊と第3大隊は第129連隊にナギリアン道路を任せ、トラックでサン・マニュエルへ向かいました。そして4月4日、Tebboにいた第32師団の部隊と交代すると、同月8日まで四日間かけて周辺を探索し、第33師団司令官Percy W Clarkson少将に「Tebbo近辺に日本軍の姿はない」と報告します。第33師団司令官クラークソン少将は第130連隊の報告を受けると、4月11日に予定していたHill X (バギオ市の西側、ナンガリサンのアシン・トンネル周辺)への奇襲攻撃に備えて、第136連隊に以下の指令を出しました。*4

The Golden Cross CG issued orders to the 136th Infantry to replace the 130th on Skyline Ridge. Colonel Cavenee handed the mission to 2d Battalion, resting at Sison after weeks of heavy action along Kennon Road. A tour of duty on Skyline Ridge would give this combat-weary unit a chance to relax. (The Golden Cross, pp.250)

【拙訳】第33師団司令官は第136連隊に対し、Skyline Ridgeにいる第130連隊と持ち場を交代するよう指示した。カヴェニー大佐はこの命令を、ケノン道路での数週間におよぶ長い激戦を経て、シソンで休息を取っている第2大隊に任命した。Skyline Ridgeへの出張任務は、戦闘で疲弊したこの部隊に安らぐ機会を与えてくれるだろう。

当時、第136連隊の大部分は3月中旬からケノン道路のCamp 3を目指してBuebueエリアを制圧・北上し、3月末からケノン道路のCamp 3付近で戦線を後退させまいとする日本軍と膠着状態に陥っていました。*5 

4月9日、カヴェニー大佐がクラークソン少将からの指示を受けて、4月7日にケノン道路での戦いから離脱したばかりの第2大隊にSkyline Ridgeへ行くよう命令したのは、第2大隊ならすぐにTebboへ派遣できる中隊がいくつかあったためでしょう。また、第33師団指揮官のクラークソン少将が第136連隊に命令を出したのも、カヴェニー大佐の部隊ならSkyline Ridgeで兵を休ませつつ、地理的に同連隊が対応しているケノン道路での戦いに投入させやすいと考えてのことだったと思われます。

第136連隊第2大隊のF中隊は移動命令を受けると、リーダーのスース大尉(Captain Suess)に率いられ、H中隊から譲り受けた数台の重機関銃と共にTebboへ移動を開始しました。そして渓谷(The Gap)に沿ってSkyline Ridgeを目指し、尾根伝いに布陣していた第130連隊の第2大隊・第3大隊と持ち場を交代すると、第2大隊の司令部があった場所 (渓谷の西側の尾根)にF中隊の本部を設置します。*6  第130連隊の報告により、大隊2個の交代要員は中隊1個で問題ないと判断されるほど、Tebboは安全な場所だと思われていたのです。ただし、第130連隊からSkyline Ridgeを引き継いだ第136連隊F中隊は日本兵の襲撃をかなり警戒していたようで、土嚢や有刺鉄線、ブービートラップを周囲仕掛けるなどの対策を講じていました。『The Golden Cross』曰く、「ケノン道路での一か月から、彼[スース大尉]の部隊全体が、日本人はステージいっぱいのフーディーニたちよりもずる賢いと学んでいた (A month on Kennon Road had taught his entire outfit that the Japs were trickier than a stageful of Houdinis.)」そうです。(pp.251) ))

4月10日午前1時、Tebbo周辺に潜伏していた日本軍がSkyline Ridgeに夜襲をかけ、F中隊と交戦を開始します。午前10時すぎ、F中隊のスース大尉が第2大隊指揮官のヘイコック中佐と通信中に銃撃を受けて死亡。第136連隊第2大隊はすぐさまシソンで休ませていたE中隊およびG中隊を派遣してF中隊の救出を試みますが、いずれも失敗に終わります。ヘイコック中佐はラジオ通信で、午後8時になったらSkyline Ridgeを脱出するよう、F中隊のスタイン中尉に指示を出しました。午後7時59分、F中隊は自ら通信機器を破壊し、以降、翌11日午前6時に渓谷(The Gap)で待機していた第136連隊の他の部隊と再会するまで、生死も行方も確認できない音信不通状態となります。*7 

A nightmare was over. The return trip to The Gap had taken almost twenty- two hours of marching. Usually brusque Colonel Cavenee wept as the tattered infantrymen dragged themselves up to The Gap. He walked out to meet them, shaking hands with some, pounding others on the back. Trucks were waiting and the men were quickly driven back to San Manuel for rest, medical attention and re-equipping. (The Golden Cross, pp.258)

【拙訳】悪夢は終わった。渓谷とSkyline Ridgeの往復旅行は、ほぼ22時間にもおよぶ行軍であった。いつもは不愛想なカヴェニー大佐も、ぼろぼろの歩兵たちが這う這うの体で渓谷に戻ってくることに涙した。大佐は自ら出向いて部下たちに会いに行き、彼らと握手を交わしたり、背中を叩いたりした。何台かのトラックが待機しており、兵たちは迅速に[シソンの]サン・マニュエルへと回収され、医師による手当てと再装備がなされた。

4月11日の朝、ケノン道路のCamp 1で待機していた第136連隊第1大隊のA中部隊・B中隊が渓谷(The Gap)に到着し、同日夜にはC中隊・E中隊・G中隊も合流します。第136連隊は体勢を立て直して同月17日から反撃を開始しましたが、Skyline Ridgeに布陣した日本軍にはバギオから定期的に補給があったこと、Skyline Ridgeにいた日本軍がやがて北東のウゴ山(Mt. Ugo)方面へ逃れて戦い続けたことから、5月中旬ごろまで激しい消耗戦が繰り広げられました。*8 消耗戦ということは、弾薬や食料、医薬品などの物資を大量に消費しているにも関わらず、自軍の死傷者数の多さのわりに敵軍兵士の殺害や拘束が捗らないし、戦果も上がらないということです。

『The Golden Cross』の巻末に掲載されている戦死者リストによれば、同じ第33師団の中でも第136連隊が236名と突出して最も多く、次いで第130連隊が161名、第123連隊が96名となっています。第33歩兵師団が正式に動員解除されたのは1946年2月で*9、第136連隊が第33師団に組み込まれた1942年4月から約3年10か月のあいだに死亡した兵士全員分のリストとはいえ、第130連隊の約1.5倍、第123連隊の約2.5倍の死者数が出ているのは異様です。大規模な中隊をまるごと一つ失った以上の死亡者数で、毎週1名以上の兵士が死んでいる計算になります。

こうした第136連隊の状況から思い起こされるのは、浦茂「日本刀保存についてマッカーサー司令部との交渉経過(当時の日誌から)」のサザーランド中将に関する記述です。

陳情を重ねるにつれて、連合軍参謀長サザーランド中将は、ルソン島で日本軍の斬込隊に襲はれ、幕僚も南太平洋地域の日本軍玉砕部隊の白兵戦で日本刀には異状な恐怖と憎しみを抱いており、況や苛烈な戦場から敵国本土に直行してきた勝ち誇る荒武者の参謀連を納得させるには、厚く堅い壁があった。

日本刀可愛さ故のゼノフォビアが鼻につくものの、当時のGHQ(実質的に米軍)が日本刀をどのような武器として認識していたかを端的に表す描写です。浦氏の記述の主眼は「傲慢な勝者である米軍は、あまりに感情的で話が通じない」という状況説明にあるのでしょうが、むしろ「苛烈な戦場から敵国本土に直行してきた」サザーランド中将や他の幕僚たちの方が、日本刀の殺傷能力や武器としての性能を冷静に見極めて高く評価していたからこそ、民間人による刀剣保有を危惧していたと言えるでしょう。

戦後に提唱された「日本刀=芸術的・骨董的価値のある美術品」という言説が、佐藤寒山のような当時の専門家にとっても新時代のために考案された真新しい価値観であったという事実を踏まえれば、当時の進駐軍(特に南太平洋地域の前線で日本軍と戦っていた米軍兵たち)が「日本刀=軍事転用可能な高性能の単純武器」と考えるのは従来の価値観や戦場での日本刀の使い方に則した極めて常識的発想であり、突然日本刀の芸術的価値を理由に美術品としての保護を訴えるようになった日本政府こそが常識外れで前衛的な態度であることが分かります。そもそも日本政府は、なぜ日本刀をベースにした軍刀を兵士に装備させたのでしょうか?日本政府や日本軍に歯向かう「土人」や「鬼畜米英」を効率良く殺害・負傷させて、その殺傷能力で非植民地地域の人々や連合国の敵兵などを威圧するためではなかったでしょうか?*10

加えて、荒氏の論文にもあるように、日本政府は当初「軍人の私有財産にあたる家宝の日本刀は、民間武器の回収から外してくれ」と交渉していました。進駐軍にしてみれば「『家宝だから』というだけで、こんなに殺傷能力の高い武器を武器扱いしないでくれ、だと?そんな理由で連合軍が日本人に武器の保有を許可するとでも思っているのか?」と大層警戒する要求内容だったでしょう。

アメリカ軍は日本軍との戦いに際してフィリピンの抗日ゲリラ組織に大量の武器(主に銃器)を供与しましたが、日本の民間人は他国の軍隊から武器を供与されずとも、高性能で繰り返し使用可能な軍用武器たり得る日本刀がいとも簡単に手に入るのです。数百年前に打たれた日本刀であっても、きちんと手入れをしていれば充分な殺傷能力があり、そのような鋭い切れ味を持つ刀が長短を問わず日本国内に数千振、数万振と存在し、鍛えられてから歴史の浅い日本刀も含めれば数十万振にも及ぶことを考慮すれば、日本刀の持つ軍事的意義に対する浦氏の認識がいかに平和ボケした、キャリア10年以上のベテラン軍人にあるまじき甘っちょろい考え方であるかは論じるまでもありません。

1945年9月12日夜の有末精三機関長との会見で、サザーランド中将が「もし日本刀を許したなら、軍国主義復活の芽を残すことになり、日本人は草の根を分けても日本刀で復讐を企てるだろう」と「空しい返事」を述べたエピソードからも*11、日本におけるゲリラ組織の形成とゲリラ組織による日本刀の使用が、当時の米軍にとって重要な懸念事項の一つであったと推測できます。殊にサザーランド中将の所属していた第6軍は、南太平洋の島々で先陣を切って日本軍と戦っていたこともあり、1944年9月以降に戦地投入された第8軍よりも日本刀の殺傷能力や武器としての性能を強く実感していたのでしょう。日本刀の芸術的価値やら文化的価値やらを力説されてうっかり同情してしまうのは、南太平洋方面のニューギニア島インドネシア、フィリピンの戦線に参加せず、日本刀を装備した日本兵と直接殺し合った経験の乏しい軍人くらいではいでしょうか。例えば、Provost Marshal所属の憲兵司令官とか。*12

さて、木村京都府知事の手紙によれば、1945年12月上旬時点で、京都市内だけでも日本刀の保有者が547名、保有許可証の発行された日本刀が1121振存在していたそうです。全て単純武器の刃物とはいえ、人数で換算すれば中規模の1個大隊、日本刀の数で換算すれば大規模な1個大隊の隊員全員に支給しても、予備の日本刀が100振以上残る計算です。当時西日本を占領していた第6軍の司令部が京都市内に置かれていたことを考えれば、市内の警備を担当していた第136連隊のカヴェニー大佐が潜在的な軍事的脅威として危険視し、排除を命じたのは妥当な判断でしょう。また、武装解除された元軍人を含む民間人がゲリラ組織を編成し、日本刀を装備して第6軍司令部を襲撃するリスクを考えれば、爆薬や猟銃の類と同レベルの管理体制を整え、進駐軍によって継続的に監視すべき民間武器として扱うべきだと主張したとしても不思議ではありません。

時系列的に米軍が情報を得ていたとは思えませんが、日本国内ではポツダム宣言の受諾が決まった8月10日から8月下旬にかけて、宮城事件、国民神風隊事件、厚木航空隊事件、松江騒擾事件、川口放送所占拠事件といった、無条件降伏に反対する軍人たちによる騒ぎが相次いで起きていました。「日本刀で武装した元日本兵や右翼の集団が、進駐軍の司令部を襲撃するかもしれない」という想定シナリオは、1945年の日本で暮らす当時の日本人やアメリカ人にとって、21世紀を生きる我々が考える以上に現実味のある深刻なリスクだったでしょう。

メンテナンスさえしっかりされていれば、切れ味や殺傷能力をある程度維持したまま何度でも使える日本刀を、サザーランド中将が軍刀以外の刀剣も含めて「完全に排除するべき民間武器」と認識していたことは自然な流れです。また、サザーランド中将が日本兵に襲われたルソン島において、より前線に近い場所で部隊を指揮していたカヴェニー大佐がサザーランド中将と同じ考えを持っていたとしても不自然ではありませんし、ニューギニアインドネシア、フィリピンの最前線で日本軍と戦った直後であれば尚更、日本刀という武器に対して危機意識が高かったでしょう。

一点注意しておきたいのは、『The Golden Cross』の著者ウィンストン氏が第136連隊出身ということです。他の33師団隊員とチームを組んで書いた共著の可能性もありますが、どんなに頑張っても自分の属していた第136連隊に同情的になるというのが人情です。例えば1963年に出版されたRobert Ross Smith "United States Army in World War II The War in the Pacific: Triumph in the Philippines"では、第25章The Collapse of the Baguio Frontにおいて、4月12日から26日の14日間にかけて「第136連隊はなんの進展も遂げなかった (136th Infantry had made virtually no progress)」と評価しています。*13

1945年の4月中旬といえば、危うくF中隊を失いかけた第136連隊がSkyline Ridge奪還に向けて、The Gap周辺(ピジンガン山(Mt. Pigingan)~ウゴ山(Mt. Ugo)の中間あたり)の山中で日本兵を相手に戦っていた時期にあたります。『The Golden Cross』を読んでいると「第130連隊がヘマしたツケを払わされてるのに、「第136連隊は進展がない」とか言われても…そもそもケノン道路での戦闘は日本軍をバギオの南側に足止めするためだし…」とつい考えてしまいますが、特定の個人の視点に寄り添いすぎると見えてこない景色があるという良い教訓でしょう。

オリエンタルな処刑道具としての日本刀

第二次世界大戦中の英語圏(今回調べた範囲ではアメリカ・イギリス・オーストラリアの三か国)では、日本兵による戦争捕虜および現地民の斬首がたびたび話題となっており、ニューギニアで戦争捕虜となった豪州航空兵が斬首刑に処された事件(1943年10月)グアムでチャモロ族43名の首なし死体が見つかった事件(1944年8月)グアムで児童13名の首なし死体が見つかった事件(1944年12月)児童3名を含む22名のアメリカ人一般市民(宣教師の一団)が殺された事件(1945年6月)、など、日本刀を用いた残虐行為(日本兵による被害者の斬首)の話題には事欠かない状態でした。1945年5月にイギリスのデイリー・ミラー誌が公開したシフリート軍曹の処刑写真は特に注目を集め、日本刀=斬首刑に使われるオリエンタルな軍用武器、というイメージが英語圏で定着していきます。

また、第二次世界大戦が終わると、戦時中の日本兵による戦争捕虜および現地民の殺害行為が戦争犯罪として調査対象になり、1943年10月に報道された豪州航空兵処刑事件の殺害犯特定のニュース(1945年10月)オランダ人捕虜2名およびインドネシア人2名を殺害した罪で日本兵が死刑になったニュース(1945年12月)イギリス兵12名を殺害した罪で起訴されていた日本兵5名が自殺したニュース(1946年1月)インドシナでフランス人捕虜を殺害した日本兵の裁判に関するニュース(1947年1月)などが報道されました。

なお、ここで挙げたニュースはいずれも被害者たちが日本兵に斬首された事例ですが、日本刀が使われていない、斬首以外の殺人行為に関する報道ももちろんありました。例えばミャンマーでイギリス人捕虜およびインド人捕虜計25名が銃剣で殺害された事件(1943年4月)ミャンマーの病院で医療関係者や入院患者30名以上が殺害された事件(1944年2月)フィリピンのデ・ラサール大学で約70名が殺害された事件(1945年2月)などです。

このような残虐な事件は、きっと日本軍による管理・統制の甘い植民地エリアに限った話だろうと思いたくなりますが、日本兵による戦争捕虜の殺害は日本国内でも珍しいことではありませんでした。斬首による処刑は射殺・斬殺による処刑と並んでそれなりにメジャーな方法の一つであり、また、進駐軍が日本に上陸する前に証拠隠滅を図って罪を逃れようとした者たちもいました。日本国内でさえ市民による告発がなければ判明しなかったであろう事件が何件もあることを踏まえると、告発されず事件化もされなかった日本国外の殺人事件はいったいいくつあるのだろうと疑問に思わずにいられません。

www.powresearch.jp

その一方で、日本兵による惨たらしい殺戮行為が報じられるのと並行して、ルーズベルト大統領が日本刀を手に入れた話(1942年3月)や、パプアから日本刀を持ち帰ったオーストラリア兵の話(1943年5月)ニューギニアから日本刀を両親に送った兵士の話(1944年2月)オーストラリア兵に日本刀7000振が記念品として配られる話(1945年11月)イギリスのマウントバッテン卿がオーストラリア首相に日本刀を見せた話(1946年3月)、といった、連合国軍にとって"華々しい"ニュースも報道されました。こうした記事における日本刀の扱いは①献上品あるいは褒美としての意味を持つプレゼントか、②戦利品としての意味を持つ記念グッズ、の2種類に大別できるようです。後者に関しては個々の部隊や兵士によって日本刀の入手経緯が大きく異なり、日本軍の放棄した拠点で偶然日本刀の発見したようなケースは武功の証明になりませんでした(単なるラッキーなお宝発見のニュースとして報じられました)が、日本兵との戦闘を経て入手されたケース、特にその戦闘行為で日本兵が死んだ場合は、連合国軍兵士の勇敢さ・勇猛さが讃えられ、連合国民間人の士気高揚に一役買っていたようです。

占領期のアメリカ軍やアメリカ兵が日本刀に対してどのようなイメージを持っていたかを理解するには、こうした戦中・戦後の海外における日本刀関連の話題も丁寧に拾っていく必要があります。しかし、残念ながら近年の日本語圏における語りでは、連合軍が日本に勝利した1945年8月15日以降に時代を限定し、主に日本人の手によって書かれた「いかに素晴らしい名刀の数々がGHQのせいで失われたか」というロマンチックな悲劇的話題ばかりが好まれるようです。GHQによって回収・廃棄されることなく保護された日本刀の芸術的価値の高さを解説することに腐心はしても、日本刀の武器としての性能や軍事的意義について深く考えを巡らせようとする考察は多くありません。

戦後生まれの世代が85%を超え、老若男女を問わず、博物館に飾られた"由緒正しい"、"折り紙付き"の日本刀しか目にしたことのない日本人が多数を占める2023年現在において、日本刀を文化的な遺産、伝統工芸品、あるいは先祖代々の家宝として敬って遇することはあっても、戦場で使われる高性能の単純武器、殺傷能力の高さゆえに軍隊が採用した強靭な刃物として扱うこと・考えることはほとんどありません。日本刀を人殺しの道具として扱うことに不慣れな現代人が、民間武器の回収に際して進駐軍と敵対関係にあった日本政府関係者の書いた、民間人の武装解除と非軍事化の軍事的側面を排した情感たっぷりの嘆願文に感化されてしまっても無理のない話です。

刀剣回収の命令を出した人物の名前も経歴も、その人物が第二次世界大戦中に何を体験したかも不明な状態で、戦後占領期の動向を1〜2ヶ月ほど表層的に追いかけた程度にもかかわらず、日本政府関係者による一方的な証言や資料のみを根拠として、京都市中の日本刀1100余振に国宝が20振近く含まれていたという理由で「きっと国宝目当ての米兵による強奪未遂事件なんだ」と吹聴するのは勇み足が過ぎるでしょう。資料の調査能力においては素晴らしいのですが、目の前の資料を深く読み込みながら他の文献に書かれた情報も参照しつつ仮説を練り上げる行為と、目の前の資料からは明らかに読み取ることも推察することもできない話を成立させるために都合の良い情報だけを抜き出してきて自説を補強する行為は似て非なる行いです。

ちなみに京都市中の日本刀全1121振に対して、恩賜京都博物館に保管されていた国宝は20振程度なので、京都市内全体の約1.7%が国宝の日本刀ということになりますが……この程度で「「全」美術刀剣の回収が目的」とお宝目当ての泥棒嫌疑をかけられるなら、日本全国ほぼ全ての進駐軍が国宝乃至重要文化物目当ての泥棒軍団ということになるでしょう。1945年11月時点で京都市内にある日本刀は全て日本政府の鑑定・保有許可証発行を受けて美術品扱いとなっているのですから、京博の刀剣が国宝・重要文化物である点をことさら強調して「「全」美術刀剣の回収が目的」と論理展開するロジックもよく分かりません。

そもそも美術的価値のある刀剣だから回収しているのではなくて、軍事的脅威のある民間武器(集合体)だから回収命令を出してるのだと思いますが……進駐軍にとって京都市内の日本刀1121振には軍事的リスクなど存在しない、という判断なのでしょうか。憲兵司令官殿が許可しているのだから第6軍としてもGHQとしても問題ない、問題があると考えているカヴェニー大佐の方がトラブルメイカーの異端者、みたいな?(第6軍内部でもGHQの幕僚レベルでも、1945年12月時点では日本刀の扱いについて統一見解など存在していませんし、1946年1月に至ってはGHQ(第8軍)が日本政府に第136連隊とほぼ同じ要求を出しているのですが……日本政府が美術品扱いしている刀剣の保護に積極的でないどころか、武器回収のプレッシャーが増してます……。)

「第136連隊は他の1100振余りの日本刀のほとんどに見向きもせず、刀剣未提出者の家や施設に回収部隊を派遣することもしなかったのに、恩賜京都博物館の刀剣だけは強引に回収しようとした」とか、「国宝や重要美術物といった貴重な刀剣の話題が出るたびに、カヴェニー大佐は目の色を変えて異様な執念深さを見せた」とか、そういう当事者の証言や記録が複数提示されていれば、第136連隊の真の目的が京博に保管されていた国宝の入手にあったと言えると思うのですが……せめて「12月21日の回収期日には、カヴェニー大佐自ら京博に乗り込んできた」くらいインパクトのある話でもあれば、ね……。読む人が読めば、荒氏の論文を確認した時点で、第136連隊の11月の指令がカヴェニー大佐の独断による暴走行為であったかのような仮説を唱えられるほどの根拠はないように感じると思いますが……とはいえ、「マッカーサー司令官が大包平を欲しがった」という出典不明・真偽不明の伝説が、本当にあった出来事かのようにたびたび言及される日本刀界隈のことを思えば、「私利私欲のお宝目当てで刀狩りを強行するアメリカ兵のカヴェニー大佐」という風説もまた、一部の人々にとっては説得力のある"逸話"の一つなのでしょう。ま、そういう話が好きな人は多いですからね……「海外が認めた日本人」とか「世界が認めた日本の何々」とか、日本人ってそういうの大好きじゃないですか。(突然の主語デカ構文)

普段から『永遠のゼロ』とか『ラーゲリより愛を込めて』とか、『VIVANT』とか『YOUはなにしに日本へ?』とか『世界!ニッポン行きたい人応援団』とか『和風総本家』とか、国粋主義レイシズムとニッポンバンザイ精神の滲み出るナルシシズムに満ち満ちた言説をできる限り避けながら暮らしているのですが、「久々に"こういうの"読んじゃったな……」と変な意味で感慨深いです。浦茂のような日本人が「日本刀の価値も分からんアメリカ人が、名刀までもをガソリンで燃やしたり日本海に沈めたりして、ひどい!」と憤慨する時代から、戦後生まれの戦争を知らない世代の日本人が「日本刀の価値も分からないアメリカ人のくせに、文化財級の日本刀だけは力尽くで奪おうとして、ひどい!」と憤慨する時代に変わっただけにしか見えません。そしてそういう憤り方をする人たちが視界に入るたびに「第二次世界大戦中の日本刀って、非植民地の人間や連合軍の兵士を刺したり斬ったり殺したり、死体をバラしたりするための武器であることにこそ価値があったんですよ。当時の日本人は彼らを土人だの鬼畜米英だのと呼んで、人間扱いしてませんでしたけどね。財閥やら華族やら"古き良き"寺社仏閣やら、大政翼賛の連中が後生大事に秘蔵していたお綺麗な籠の鳥の話ばかりしていないで、帝国陸軍内務省に都合良く打たれ、使われ、"真に美術的価値のある刀剣"とは認められずに、あるいは認められても後ろ盾の弱さから見捨てられた無数の刀たちのことも少しは考えたらどうです?」と宗三左文字が耳元で囁いてくるのですが……え?幻聴??解釈違い???ま、そんなこともありますよね〜。

*1:The Golden Cross, pp.85

*2:The Golden Cross, pp.135

*3:The Golden Cross, pp.247

*4:The Golden Cross, pp.249-250

*5:The Golden Cross, pp.148

*6:The Golden Cross, pp.250-251

*7:The Golden Cross, pp.251-258

*8:The Golden Cross, pp.272

*9:The Golden Cross, pp.378

*10:例えば茶道具の抹茶茶碗について話す場合、200年前に焼かれた茶碗だろうが400年前に焼かれた茶碗だろうが、抹茶を点てて飲むための器としての価値を意図的に無視した語りはナンセンスの極みでしょう。あまりにも作られた時代が古くて壊れやすい、保存状態が悪い、などの理由で実用できない抹茶茶碗や、器の中に金蒔絵を施すなどして完全に観賞目的で作られた非実用品は例外としても、基本的には①抹茶を点てるための調理器具、②抹茶を飲むための食器、③観賞用の美術品、としての役割を意識した語りになるはずです。日本刀ならばさしずめ、①人間や動植物を切ったり殺したりするための武器、②保有者の地位や権力・財力をアピールするための装飾物、③観賞用の美術品、あたりになるでしょうか。現代では②装飾物や③美術品としての要素ばかりが脚光を浴びせて、①武器としての要素をあまりにも疎かにしすぎている(関心を持っているのはミリオタくらいでは?)のですが、その方が日本人や日本刀の後ろ暗い近現代史について触れずに済んで気持ちが楽なのかもし知れませんね。あまりにも歴史背景が見えすぎると萎えちゃいますから。でも私たち審神者がエンジョイしてる刀剣乱舞って、刀剣男士が歴史修正主義者と物理的にザクザク刀で斬り合って、最終的には戦闘相手を倒す(殺す)のが目的で、殺傷能力の高い武器としての日本刀が大活躍するゲームなんですよね……。占領期における日本刀周りの建前と本音の違いをきちんと理解している人間であれば、GHQによる非軍事化と武器回収の文脈や日本刀の武器としての要素にもっと真剣に向き合って考えると思うのですが……とはいえ、私が個人的にそう思っているだけなので、そういうアプローチ方法は世の中の常識ではないのかもしれません……。

*11:浦茂「日本刀保存についてマッカーサー司令部との交渉経過(当時の日誌から)」

*12:戦時中のProvost Marshalは、前線部隊とは任務地や任務内容が異なり、移民一世や二世の日本人・日系人、戦争捕虜の日本兵を収容所で管理する業務や、米軍兵の違法行為を取り締まる業務が中心でした。収容者らが反乱を起こして逃亡し警備兵に射殺される収容所がある一方で、投降を呼びかける日本語のビラを作るために収容者と米軍が協力関係を築いていた収容所もありましたが、軍装した日本兵の集団と正面からぶつかり合って戦闘行為に及んだ経験は多くありません。少しの油断が命取りになる南太平洋の密林地帯で、日夜日本軍と殺し合っていた前線部隊の元戦闘員にしてみれば、武装解除した元日本兵が民間人として暮らす日本社会に「芸術的価値があるから」という理由だけで刀剣保有を許可するなど言語道断でしょう。

*13:United States Army in World War II The War in the Pacific, pp.487

第136連隊のカヴェニー大佐を探して:前編

GHQと京都刀剣(普及版)』を読んで、京都市内の警備を担当していたカヴェニー大佐(あるいはコーペニー大佐、コーベテ大佐)がどんな人物か気になったので調べました。備忘録も兼ねて典拠を記載しているうちに文字数が多くなってしまったので、記事を前後編に分けてあります。この記事は「前編」です。

※わりと長めです。(約8000字)
※「カヴェニー大佐とは誰なのか?」という問いについては、前編で結論を出しています。
※Nov 11, 2023、表示されていなかった挿入画像が表示されるよう修正しました。また、文体を優しめに変更しました。

第6軍第136連隊と京都進駐

カヴェニー大佐の基本情報についておさらいしましょう。大佐は第6軍が管轄する第136連隊に属しており、1945年(昭和20年)の11月、および12月(少なくとも21日まで)は京都に駐屯していたが、同年12月下旬以降に第6軍ごと朝鮮半島へ移動しています。

滋賀県庁のホームページで公開されている滋賀県立図書館のデジタル展示「占領下の滋賀~GHQとその時代~」(2016年)によると、戦後の「大津市には、米軍第6軍136連隊のカーベーニー大佐以下2,910名が進駐し、滋賀県軍政部が設置され」たとあります。

『占領下の滋賀~GHQとその時代~』「【コラム1】GHQの進駐と接収」

カヴェニー大佐と同じ階級・似た立場で、似た名前の人物「カーベーニー大佐」に関する情報が登場しています。SmithやJohnsonのようにありふれたファミリーネームではないため、おそらく同一人物ではないかと思いますが、断定するにはやや確証を欠いているのでもう少し情報がほしいところです。しかし、京都以外にも第136連隊の進駐した地域があったらしいという情報は収穫でしょう。

次に、兵庫県宝塚市のたからづかデジタルミュージアムも見てみましょう。こちらにも第6軍の進駐に関する情報が載っています。少し長いですが、以下引用します。

マッカーサー元帥を総司令官とする連合軍総司令部GHQ)が東京に設置され、日本占領行政の中心となった。そして占領軍は全国各地に進駐したが、当初の連合軍は主としてアメリカの第八軍と第六軍とであって、第八軍は東京に司令部をおいて主として東日本を、第六軍は京都に司令部をおいて西日本を、分担した。兵庫県に進駐した占領軍は、この第六軍第一軍団に属する第三三師団(司令部は神戸)で、第一軍団は沖縄の激戦をへた歴戦の米軍一二〇〇名からなり、九月二十五日早暁に和歌浦田辺港から上陸を開始し、戦闘体勢のまま第三三師団の一部は宝塚地区へ進駐してきた。そして宝塚歌劇場や東洋ベアリング製造株式会社武庫川工場へ六〇〇名ずつ駐屯した。

宝塚市/たからづかデジタルミュージアム「連合軍の進駐」(324/483頁)

GHQと京都刀剣(普及版)』でも説明されているように、第136連隊は第6軍の下部組織です。第33師団は第6軍と第136連隊の中間にあたる大きさの軍隊のため、各部門の上下関係は上から第6軍>第33師団>第136連隊の順番となります。

そしてこの段階で、日本語で大佐の情報を探すことに限界を感じるようになったので、以降は主に英語で調査を進め、大佐の足跡を追うことにしました。

カヴェニー大佐とColonel Cavenee

カヴェニー大佐はファミリーネームのスペルが不明なので、まずは所属部隊の名称「第6軍 (the Sixth Army)」「第33師団 (the 33rd Division)」「第136連隊(the 136th Infantry Regiment, 厳密には「第136歩兵連隊」)」で情報を検索します。

アメリカ国立公文書記録管理局 (National Archives and Records Administration, 通称NARA) のオンラインアーカイブに、第6軍についての概略が掲載されていました。*1

It landed at Kyoto, Japan, September 26, 1945, and soon thereafter was relieved of occupation duties by Eighth Army December 31, 1945. Sixth Army was inactivated January 26, 1946 in Japan and by authority of War Department radio of November 22, 1944, and announced by GHQ AFPAC general order 397, December 14, 1945.

【拙訳】第6軍は1945年9月26日に日本の京都府に上陸し、1945年12月31日、第8軍によって任務から解放された。アメリカ合衆国陸軍省による1944年11月22日付のラジオ放送、及び米太平洋陸軍総司令部による1945年12月14日付の一般命令第397号のもと、1946年1月26日付にて日本で動員解除された。

NARA Archives: War Department. Sixth Army. Information Office. 1/25/1943-9/18/1947

NARA Archivesには第6軍の日本進駐時代の軍事記録も保存されていますが (下記リンク参照)、資料がデジタル化されておらず、現時点ではオンライン上で閲覧できない状態にあります。同様に、第33師団の動向についても資料が残っているようですが、アーカイブ化が進んでおらず、今のところオンラインで確認する方法はありません。

NAID: 1263766, HMS/MLR: A1 147, US 0216 0000 A 736: HQ, Sixth US Army. Report of the Occupation of Japan. 22 Sept. - 30 Nov. 1945

NAID: 2145237, HMS/MLR: NM84 79, Report of Occupation of Japan - Sixth United State Army, September 22, 1945 to November 30, 1945

NAID: 1202890, 33rd Infantry Division: Numbered Memorandums

NAID: 1202903, 33rd Infantry Division: Operations Memorandums

NAID: 1113839, Deceased Personnel, 33rd Infantry Division, March-June 1945

NAID: 352112, Report of Prisoners of War Captured (by 33rd Infantry Division), February 1945-June 1945

 

次にInternet Archiveで部隊名を検索したところ、The 33d Infantry Division Historical Committee (仮訳:第33歩兵師団歴史委員会) が1948年に出版した軍隊史『The Golden Cross: A History of The 33d Infantry Division in World War II (仮訳:黄金の十字団ーー第二次世界大戦における第33歩兵師団の歴史ーー」、以下『The Golden Cross』)』がヒットしました。*2

余談ですが、Washington Postが2011年9月に掲載した追悼記事「Sanford H. Winston, WWII hero who became HEW spokesman, dies at 90」によると、軍隊史『The Golden Cross』を執筆したのは第136連隊出身のウィンストン氏で、1946年に軍隊史の執筆業務を任命されたそうです。ニューギニアの戦い、モロタイ島の戦い、フィリピンの戦いに参加し、また1945年5月時点で中尉であったとのことなので、戦時中は第136連隊の隊員として任務に就いていたのでしょう。

archive.org

第33師団や第136連隊の進駐時代の動向については、『The Golden Cross』の第19章Occupationに詳しい情報が記されています。例えば、第33師団が上陸した海岸や上陸後の進路について、以下のような記述があります。

At 0830 on 25 September 1945 the 130th and 136th Infantry Regiments landed abreast on Beaches Red and White near Wakayama on Honshu, Japan. (The Golden Cross, pp.359)

【拙訳】1945年9月25日午前8時30分、第130及び第136歩兵連隊は、日本の本州・和歌山市付近にあるレッド・アンド・ホワイト海岸に共に上陸した。*3

また、和歌山港上陸直後の動向については以下の通り。

It became imperative for the infantry units to reach their posts without delay since no bivouac areas were available. (...) Troops were marched to the Wakayama railroad terminal and loaded aboard modern coaches for the ride to the Kyoto-Kobe-Himeji sector assigned the 33d Division. (The Golden Cross, pp.360)

【拙訳】野営地に適した場所が[和歌山近辺には]なかったため、遅滞なく任務地に到着することが両歩兵部隊にとって必要不可欠だった。(...)両部隊は和歌山市の鉄道ターミナルに進軍し、近代的な車両に乗せられて、第33師団に割り当てられた京都・神戸・姫路地域へと展開した。

第6軍全体の管轄地は、東側から、新潟県山梨県を除く中部地方(長野県・静岡県富山県岐阜県・愛知県・石川県・福井県)、近畿地方、中国地方、沖縄県を除く九州地方の全30府県に及んでいました。第33師団の管轄範囲は6つの府県(大阪府京都府兵庫県滋賀県福井県・石川県)にまたがり*4、第6軍の管轄エリアの五分の一を担当していたようです。

【参照】SCPAIN-2:進駐軍の管轄エリア(進駐直後)

当初、第33師団は神戸市内に拠点を置いていましたが、10月中旬ごろには神戸・姫路・宝塚へと拠点の範囲を広げ、同三市の武装解除(日本軍の解体)を完了すると、10月末からより内陸の地域に新しい拠点を増やしていきます。

Map 29. Division occupation stations (The Golden Cross, pp368)

上の図は第33師団の各組織が1945年10月末以降に拠点を置くことになっていた各予定地を示しています。「1 BN 136 (第136歩兵連隊第1大隊)」は福井県敦賀市へ、「2 BN 136 (第136歩兵連隊第2大隊)」は石川県金沢市へと派遣され、「3 BN 136 (第136歩兵連隊第3大隊)」は「HQ 136 (第136歩兵連隊司令部)」と共に引き続き滋賀県大津市での任務に駐屯していました。この中で注目したいのは、大津市に派遣されている「HQ 136」です。滋賀県立図書館のデジタル展示「占領下の滋賀~GHQとその時代~」によれば、当時大津市にやってきた進駐軍は「米軍第6軍136連隊のカーベーニー大佐」に率いられていました。

『The Golden Cross』の第3章Hawaii によると、1942年4月に第136連隊が第33師団へ組み込まれた当初はWilliam Henry Draper Jr大佐に率いられていましたが、ドレイパー大佐がドイツ方面へ異動になったことにより、第136連隊は1944年3月14日付でRay E. Cavenee中佐(50歳)へと引き継がれ、またこの人事異動によりCavenee中佐は翌4月大佐へと昇格しました。*5  この人事異動は戦後になっても変更がないようなので、滋賀県大津市に進駐した第136連隊を率いていたのは、このCavenee大佐と同一人物だと思われます。

念のため、第33師団の軍隊史『The Golden Cross』に記載されている第136連隊の動向について、もう少し詳しく見てみます。以下は第19章Occupationで説明されている、第6軍司令官クルーガー大将が京都市の担当部隊を決めた際の経緯です。

An excellent assignment fell to the 136th Infantry. The Bearcats were hand-picked by General Krueger to serve in immediate support of Sixth Army Headquarters in Kyoto. During the planning phase of the occupation a regiment from another division was initially selected for this key assignment. When informed of this choice, the army commander directed his staff to junk the plan and substitute a 33d Division regiment. Colonel Cavenee's command was gratified that its efforts on Kennon Road and Skyline Ridge were appreciated at such a high level. (The Golden Cross, pp.364)

【拙訳】ある素晴らしい任務が第136歩兵連隊にもたらされた。勇猛果敢な戦士たちは、クルーガー大将によって京都の第6軍司令部を直ちにサポートするよう抜擢されたのだ。この重要任務について、占領の構想段階では本来他の部隊が選ばれていた。しかし部隊の選定が伝達されると、クルーガー大将は計画をご破算にして、第33師団から別の連隊を割り当てるようにと部下たちに指示した。Cavenee大佐の部隊は、Kennon RoadとSkyline Ridgeでの尽力がこれほど高く評価されているのかと大いに喜んだ。

本文の時系列上、この急な任務地の変更は9月下旬には決定したように読めます、が、368ページの任務予定地の地図と整合性が取れない(京都市の管轄が第130連隊第1大隊になっている)ので、細かな時系列に関してはもう少し調査が必要でしょう。また、NARA Archivesで見つけた他のGHQ関連の文献を読むと、第136連隊は京都市だけでなく、京都府全域の管轄権を持っていたかのような書かれ方をしている資料もあるのですが、英語だと京都府京都市も「Kyoto」と短縮して呼びがちなので、府(Prefecture)の話をしているのか、市(City)の話をしているのか、警戒しなければなりません。(GHQのCIE(民間情報教育局)の資料に「Kyoto ken」と書かれているのは、いったいどういう事なんだろう……。)

とりあえず、Cavenee大佐が第136歩兵連隊の指揮官として大津市に派遣される一方で、第6軍司令官のクルーガー大将の采配により京都にも自由に出入りできたらしいことを考えると、カヴェニー大佐(コーペニー大佐)=カーベーニー大佐=Colonel Caveneeである可能性はかなり高いように思います。

あとこのあたりの資料↓を調べると第136連隊がどのTransportation Divisionでフィリピンから和歌山港に移動したかなどの情報を入手できるのですが(たしかTRANSDIV38のはず)、話が脇に逸れまくるのと文章化するのに疲れてしまったのとで元気がないので、あとは誰かできる人よろしく頼みます。

NAID: 77578793: COMTRANSDIV 38 - War Diary, 9/1-30/45

NAID: 77485800: COMTASK-UNIT 54.6.13 - Rep of opers in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77485768: COMTRANSDIV 33 (TEMP.) - Rep of opers in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77501899: COMTRANSDIV 56 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

NAID: 77559000: COMPHIB GR 8 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25/45-10/25/45

NAID: 77501824: COMTRANSRON 14 - Report of operations in the occupation of the Wakayama Area, Honshu, Japan, 9/25-26/45

 

余談ついでに、もう一つ。1945年10月末は米軍兵たちが復員し、本国へ帰国するため赴任地をどんどん離脱していく時期でもありました。第33師団では欠員による昇級が頻繁に行われ、人手不足の穴を若くて経験不足の兵士で埋める状況になっており*6、業務の引き継ぎはおろか、通常の情報伝達すらままならない状況であったと思われます。また、京都に司令部を置く第6軍と東京に司令部を置く第8軍では物理的に距離が離れているため、例えば東京に本部のあるCIEと横浜に司令部を持つ第8軍のように、密な情報交換や個人間のコミュニケーションを通じて連携を取るのは尚更難しかったのではないでしょうか。

こうしたGHQや米軍内部の事情が、10月23日の発出から一か月以上たっているにも関わらず「軍事作戦部長カールソン大佐、及び第136連隊のカヴェニー大佐にはSCAPIN-181が下達されていない様子だった(第6軍の憲兵司令官のスドボウル大佐は知っていたかも?)」という京都府木村知事の評価に繋がったであろうことは想像に難くありません。

→つづき→

hayyu54023.hatenablog.com

*1:GHQ SCAPとGHQ AFPACの違いについては、アジア歴史資料センターアジ歴グロッサリー「連合国軍最高司令官総司令部」を参照のこと。

*2:第33歩兵師団は記章が黒字に金の十字である。((詳しくはWikipedia記事「33rd Infantry Division (United States)」を参照のこと。

*3:米軍は当時、和歌山湾の上陸地にRed Beach、White Beach、Yellow Beachといったコードネームが付けていた。

*4:The Golden Cross, pp. 361

*5:The Golden Cross, pp.34-35

*6:The Golden Cross, pp.369

『ある奴隷少女に起こった出来事』から削除された箇所

ハリエット・ジェイコブズ『ある奴隷少女に起こった出来事』の英語版(原著)にはあるけど、堀越訳の本からは削除されてしまった部分の訳です。

 

イザヤ書、第32章第9節と併記されていた部分】

北部の人たちは奴隷制度について、何も知らないに等しい。彼らは奴隷制度を、終わりのない束縛、程度にしか考えていない。北部の人たちは「奴隷制度」という言葉が、どれほど人としての尊厳を深く傷つける行為と関わっているのかを一切理解していないのだ。もし理解していたならば、これほどまでに恐ろしい制度を打倒するその時まで、たゆまぬ努力を続けただろうに。

――ノース・カロライナのある女性より

 

【「著者による序文」の直後にくるはずだった部分】

「編集者による序文」

私はこの自叙伝の著者と個人的な付き合いがありますが、彼女の話し方や立ち居振る舞いに自信を抱いてます。この十七年間、彼女は多くの年月を、ニューヨーク在住のさる高名な一家とともに暮らし、また一家から大変に尊敬されていたために、海を渡って逃亡することができました。彼女の人柄が確かであることは、もう何も言わずとも、これらの事実を示すだけで十分でしょう。彼女の物語に出てくるいくつかの出来事は、フィクションの小説というよりも恋愛小説のようですが、彼女のことを実際に知っている人々の中に、彼女の誠実さを疑うような人などいないと私は信じています。


彼女の要望により、私は彼女の原稿を推敲しました。しかし、私が加えた修正の目的は、主に話の内容を濃くしたり、話の順番を整理したりすることでした。私は一連の出来事に何も付け加えたりしていませんし、彼女の深く贖罪するかのような記述に変更を加えたりもしていません。ごく僅かな例外を除いて、本書に書かれた考えや言葉は、どちらも彼女自身のものです。余分な箇所を私の手で多少削りはしたものの、彼女が自身の物語を活き活きとドラマチックに語るさまに、変更を加える理由が私にはありませんでした。ちなみに、私は作中の人物や場所の実際の名前を知っていますが、こちらには伏せるだけの理由があります。


本書はいずれ、奴隷制度のもとで育った女性がこれほど素晴らしい文章を書けるのか、という驚きを誘うでしょう。が、これは彼女のいた環境によって説明できます。第一に、天性の気質が彼女に勘の良さを授けました。第二に、彼女が十二歳になるまでともに暮らした女主人は、心優しく、思いやりのある友人でもあり、彼女に読み書きを教えました。そして第三に、彼女は北部に来てから有利な状況に置かれていました。頭脳明晰な人々と頻繁に交流し、与えられる機会の数々を自己修養に捧げたいと考えていました。


私は多くの人々が、本書を一般社会に公開したという無作法な行いを理由に私を非難するであろうことを、よく理解しています。なぜなら、この聡明でひどく傷ついた女性の体験してきたことは、一部の人々が「繊細な議題」だとか「下品な議題」だとか呼んでいる社会的階級に属するものだからです。この奴隷制度の奇妙な側面は、ほとんどの場合、覆い隠されてきました。しかし、その非人道的な素顔に、一般社会は向き合わなくてはなりません。そして、私はこの奴隷制度の奇妙な側面を覆い隠すヴェールを取り払って一般社会に提示する、という責任を自らの意志で負う次第です。私がこのようなことをするのは、奴隷としてあまりにも汚らわしい不正義に苦しめられた結果、あまりにも繊細な私たちの耳では言葉を聴き届けてもらうことができない我が姉妹たちのためを思ってのことです。私のこの行動は、良心的で思慮深い北部の女性たちが感化され、奴隷制度の問題に自分たちも道徳的影響を与えるべきだという義務感に目覚めることを期待しているからです。この物語を目にした全ての人々が、奴隷制度から亡命した者たちが誰一人として、政治的腐敗と残虐行為に満ちる忌まわしき巣窟へと連れ戻されることのないよう――そして、そのようなことが現実に起きないようにする能力を持った――神様に心の底から訴えることを望んでいるからです。

リディア・マリア・チャイルド

JKローリングがトランス差別の問題で炎上した件の時系列

★JKローリングが炎上するきっかけになった6月7日の連ツイ、を、ざっくり和訳。

※時系列の、エディ・レッドメインの箇所を追記しました。

 

・最初のツイート

‘People who menstruate.’ I’m sure there used to be a word for those people. Someone help me out. Wumben? Wimpund? Woomud?

Opinion: Creating a more equal post-COVID-19 world for people who menstruate

www.devex.com

 

「月経のある人たち」。そういう人たちのための言葉が、たしか存在していたはずだけど。誰か知ってる人がいたら教えてちょうだい。ウンベン?ウィンプンド?ウームッド?

(「社説:月経のある人たちにとって、より平等なポストCovid-19の世界を作るということ」という記事に対して)

 

※JKローリングの発言の大意
「『月経のある人たち』なんて書く必要ある?『女性』って書けばよくない??『月経のある人たち』って新しい種族か何かかしら???」

 

 

・7:00~8:30くらいの連続ツイート

If sex isn’t real, there’s no same-sex attraction. If sex isn’t real, the lived reality of women globally is erased. I know and love trans people, but erasing the concept of sex removes the ability of many to meaningfully discuss their lives. It isn’t hate to speak the truth. The idea that women like me, who’ve been empathetic to trans people for decades, feeling kinship because they’re vulnerable in the same way as women—ie, to male violence—‘hate’ trans people because they think sex is real and has lived consequences—is a nonsense. I respect every trans person’s right to live any way that feels authentic and comfortable to them. I’d march with you if you were discriminated against on the basis of being trans. At the same time, my life has been shaped by being female. I do not believe it’s hateful to say so.

 

もしも生まれつきの性別(sex)が現実のものでないのなら、同性に惹かれること(same-sex attraction)なんてものはありません。もしも生まれつきの性別(sex)が現実のものでないなら、地球の様々な場所で暮らす女性たちにとっての生きた現実が抹消されてしまいます。トランスジェンダーの人たちと私は知り合いだし、私は彼ら・彼女らを愛しています。しかし、生まれつきの性別(sex)という概念を抹消することは、彼ら・彼女たちの人生について、有意義に議論するという能力を、多くの人々から奪うことになります。真実について語るのは、ヘイトではありません。何十年もの間トランスジェンダーの人々に共感的で、――例えば男性の暴力に対し――彼ら・彼女らは女性と同じように傷つきやすい存在だからという理由で同胞のように感じている私のような女性が、トランスジェンダーの人々は生まれつきの性別(sex)が現実のものだと信じていて、[they] has lived consequencesだから「嫌悪している」と考えるのは、筋が通りません。すべてのトランスジェンダーの人々の、「これが本当の自分だ、快適である」と感じられるような、ありとあらゆる生き方の権利の私は尊重しています。と同時に、私の人生は女性(female)であることによって形成されてきました。そのように発言することが、ヘイトに満ちたものだとは思いません。

 

※"has lived consequences"のうまい訳語が思いつかなかったので、そのまま英文を入れました。

 

この後、6月8日にダニエル・ラドクリフの声明が出て、

www.thetrevorproject.org

6月10日の朝7:30ごろ、エディ・レッドメインのインタビュー記事が出て、

variety.com

6月10日のJKローリングの声明文が出て、

www.jkrowling.com

hayyu54023.hatenablog.com

6月11日のエマ・ワトソンの声明(連続ツイート)が出ます。

 

【和訳】J.K.ローリングの声明文(6月10日付)※追記あり

JKローリングの声明文、適当な日本語訳がなかったのでざっくり訳しました。

日本語圏でも「JKRはTERF」「JKRはTERFじゃない」と色々言われていますが、英語の読めないJKローリングファンにものすごくアンフェアな状況では?と思ったので…。

あまり推敲していないので、訳抜け・誤字脱字等ありましたら恐縮です。もう疲れたよパトラッシュ……

※ですます調でうっかり訳しちゃったので、死ぬほど長いです。14000字くらい。原文は3600 wordくらいなので、そこまで長くないです。

※6/15 13:41 menstrator、people with vulvaについて追記しました。

※11/11 23:52 しばらく「下書き」に下げてたのですが、やはり日本語の訳がないと日本の読者が不便かなと思い、再度公開します。何度読み返しても「さすがプロの小説家だなあ」と感慨深くなるお上手な物言いで「トランスジェンダーには性犯罪者予備軍がまぎれている。だから、性犯罪を防ぐためにトランスジェンダーをシス女性のための空間から排除するのは仕方がないことだ」と犬笛を鳴らしているだけの内容です。原文の英語でも、非常に理性的なトーンで落ち着いた物言いをしているのですが、感情的・けんか腰な物言いをしていないだけで、その内容・ロジックはトランスジェンダー差別主義者の言い分でしかありません。「ね、怖いでしょう?あなたもそう思うでしょう?」と読者の共感を誘いつ煽りつ、JKローリングの視点に読者を引きずりこもうとするタイプ文章なので、自分の考えや視点がはっきりしていない人は簡単に騙されますから注意してください。

※JKRの声明文を懇切丁寧に検証し、声明の内容がトランス排除的な物言いに他ならないと解説してくださっているA.J.Carterさんの連ツイはこちらです。(全文英語、和訳はここからどうぞ。長い(とても長い)です。)

 TERF戦争。

J.K.Rowling Writes sbout Her Reasons for Speaking out on Sex and Gender Issues

「J.K.ローリングがSexとGenderの問題について声を上げる理由」

www.jkrowling.com

 

この記事を書くのは、簡単ではありません――理由の数々はこのあと、すぐに明らかになります――ですが、自分自身のことについて、説明するべき時が来たように思います。有毒なるものに取り囲まれた、ある問題について。私には、こうした有毒なるものに、何かを加えたいという意図はありません。

 

詳細を知らない方々へ:2019年12月に、私はMaya Forstaterを支持する旨をツイートしました。彼女は税金関係の専門家ですが、「トランスジェンダー嫌い(トランスフォビック)である」と見なされたツイートが原因で仕事を失いました。Forstaterは自身の件を労働裁判に持っていき、「生まれつきの性別(sex)は生物学的に決定づけられているという哲学的な信念が、法律上保護されているか否か裁定してほしい」と判事に請願しました。Taylor判事は「否」の判決を下しました。

 

私がトランスジェンダー関連の問題に興味を持ったのは、Maya Forstaterの裁判が起きる2年ほど前、ジェンダーアイデンティティ性自認)の概念に関する議論を詳しく追っていたころまで遡ります。トランスジェンダーの方々にお会いしたり、トランスジェンダーの人々、ジェンダー問題の専門家、インターセックス(intersex・両性具有)の人々、心理学者、保護支援活動の専門家(safeguarding experts)、ソーシャルワーカー、医者などの手によって書かれた種々様々な本、ブログ、記事を読み、オンライン上でも、伝統的な媒体[新聞や雑誌・テレビ?]でも議論の流れを追いかけてきました。ある一面において、こうした問題に対する私の関心は、職業的なものでした。なぜなら私の連載している推理小説は、現代が舞台のお話で、私の創作した架空の女性探偵は、こうした問題に本人が興味を持ち、影響を受ける年齢だからです。しかし別の一面では、[こうした問題に対する私の関心は]非常に個人的な理由によるものであった、ということを、これから説明しようと思います。

 

私が情報収集をしたり、学んでいる間中ずっと、私のツイッターのタイムラインではトランス活動家からの非難や脅迫がブクブクと泡立っていました。これはもともと、一つの「いいね」から始まりました。ジェンダーアイデンティティ性自認)やトランスジェンダー関連の問題に興味を持つようになったころから、私は自分の関心を引いたコメントを[携帯電話で]スクリーンショットするようになりました。あとで調べたくなるかもしれない事柄を、自分に思い出させるための、一つの方法として。あるとき、私はうっかり、スクリーンショットを撮る代わりに「いいね」ボタンを押していました。そのたった一つの「いいね」が、誤った考えの証拠であると見なされて以来、低レベルでしつこい嫌がらせが始まるようになりました。

 

何か月か後になって、私はあの「事故いいね」の罪をくり返しました。Magdalen Bernsをツイッターでフォローしてしまったのです。Magdalenは非常に勇敢な若手のフェミニストかつレズビアンで、末期の浸潤性脳腫瘍を患っていました。私が彼女をフォローしたのは、彼女に直接連絡をとりたかったからですし、実際に連絡を取ることもできました。しかし、Magdalenが生物学的な性別(biological sex)の重要性を強く信じている人であり、レズビアンはペニスを有するトランス女性とデートしないという理由で「偏見持ち」と呼ばれるべきではないと信じている人であったがために、ツイッター上のトランス活動家たちの脳内で点と点とがつなぎ合わされ、SNS上の[私に対する]嫌がらせは一段とひどいものとなりました。

 

私がこうしたことについて全てお話しするのは、自分がMaya Forstaterを支持すると表明したら一体どのような事態になるのか、私はきちんと理解していたことを説明するためです。その時点で、おそらく4度目か5度目のキャンセレーション*だったと思います。[物理的・身体的な]暴力の脅迫があるだろうと予想していました。私が「文字通り、トランスジェンダーの人々を私のヘイトで殺している」と言われるだろうと。「まんこ」だの「クソ女」だのと言われ、もちろん私の書いた本は燃やされるであろうと。もっとも、一人だけ、特別虐待的(abusive)な人が「肥料にした」と言ってきたことはありました。

*著名人の昔の言動やSNS投稿を掘り出して、前後の文脈を無視して非難する現象を「キャンセル・カルチャー」と呼びます。JKローリングの視点で書くなら「これまでにも、自分の発言の一部を切り取って『あんな発言をするってことはTERFだ』と反トランス女性的な発言を捏造・炎上させられ、社会的に沈黙させられることが何度かあった」という風になるでしょうか。

 

キャンセレーション後のことで私が予想していなかったのは、雪崩のように殺到し、私に降り注ぐ手紙やメールのシャワーでした。圧倒的大多数は私に好意的で、お礼を述べ、私を支持するものでした。そうした手紙・メールの数々は、様々な分野の人々から送られてきました。共感的で知的な人々や、性別違和・トランスジェンダーの人々と関わる仕事に携わる人々です。どの人たちも皆、社会政治的な概念が[現実の]政治や、医療や、保護支援活動(safeguarding)に与えている影響を大変憂慮していました。皆、[そうした社会政治的な影響が]若者たち・同性愛者に与える危険性を心配し、大人の女性や女の子たちの権利が損なわれることを心配していたのです。中でもとくに心配していたのは、誰のためにもならない――とりわけ若いトランスジェンダーの人々のためにならない――「怖い」という雰囲気でした。

 

Maya Forstater支持のツイートをする前と後の何か月間か、私はツイッターの世界から離れていました。なぜなら、私の心の健康にとって良いことは何もなかったからです。私がツイッターの世界に戻ってきたのは、このパンデミック期間中に、無料の児童書を皆さんと共有したかったからにすぎません。[にもかかわらず]、瞬く間に、自分が善良で、心優しく、進歩的な人間だと信じて疑わないトランス活動家たちが、私のタイムラインに大挙して舞い戻ってきました。私の言論を監視する権利が、[JKRはトランスジェンダーを]ヘイトしていると責める権利が、私を女性嫌悪的な侮蔑語(misogynistic slurs)、とりわけ――この議論に関わっている女性ならば誰もが知っているであろう――「TERF」という言葉で呼ぶ権利が、自分たちにはあるのだと信じている人たちです。

 

そんな言葉は知らない、という人々へ――とはいえ、どうしてそんな言葉を知る必要があるのでしょう?――「TERF」とは、トランス活動家たちの造った頭字語[頭文字を集めた言葉]で、Trans-Exclusionary Radical Feminist(トランス排外主義的ラディカル・フェミニスト)を指します。実際には、とても大きな範囲の、様々な分野の女性たちが「TERF」と呼ばれる状況が起きていますが、そのうちのほとんどの女性はラディカル・フェミニストであったことすらありません。いわゆる「TERF」とやらの例は、同性愛者を子に持つ母親で、同性愛を理由にした嫌がらせから逃れるために性別移行したいと子供が言い出すのではないかと恐れている女性から、フェミニスト的な考えをまったくもっておらず、Marks&Spencerは「自分は女性だ」という男性がいたら誰でも女子更衣室に入って良いことになっている店だから絶対に行かない、と誓っている年配の女性まで、幅があります。皮肉にも、ラディカル・フェミニストは、トランス排外的ではありません。ラディカル・フェミニストは、自分たちのフェミニズムの範疇にトランス男性をも含めているのですから。彼らはもともと女性に生まれた、という理由で。

 

しかし、「TERF的な言動」に対する非難は、私がかつて尊敬した数々の人々、機関、団体を怖気づかるのに十分効果的でした。みな、園庭での作戦に尻込みしてしまったのです。「トランスフォビックだって言われちゃう!」「トランスジェンダーの人が嫌いなんだって噂されちゃう!」その次はなんでしょう。ノミでもついてるって?生物学的女性(biological woman)として言わせてもらいますが、権威ある立場に就いている方々の多くは、[睾丸を]二つお生やしなるべきではありませんか。(文字通り「可能」であることは言うまでもありません。「人間が性的二型の種でないことは、カクレクマノミが証明している」と主張する人たちによれば。)

 

なら、私はどうしてこんなことをしているのでしょう? なぜ声を上げるのでしょう? なぜ黙って情報収集をして、静かに身を潜めておかないのでしょう?

 

それは、私にはトランスアクティビズムの新たな潮流を心配し、声を上げる必要がある、と感じる理由が5つあるからです。

 

一つ目の理由ですが、私が所有している、あるスコットランドの慈善信託は、社会的はく奪の軽減に特化しており、女性や子供[の社会的はく奪の問題]に重点を置いています。数ある支援の中には、女性受刑者や、家庭内暴力性的虐待のサバイバーを対象としたプロジェクトもあります。また、MS(多発性硬化症)という、男性と女性とで症状が大きく異なる病気の医学研究に出資しています。私にとって自明となって久しいのは、トランスアクティビズムの新たな潮流が、私が支持している理念(cause)に著しい影響を与える(もしくは、条件が満たされたならば与え得る)、ということです。なぜなら、トランスアクティブズムの新しい潮流によって、法律上の「生まれつきの性別(原文sex)」の定義が浸食され、「社会的な性別(gender)」に置き換えられようとしているからです。

 

二つ目の理由は、私が元教員で、子供のための慈善団体の創設者でもあることから、教育と保護支援活動の両方の分野に関心を持っている、というものです。他の人々同様に、トランスジェンダーの人々の権利に関する運動が、両分野に与える影響を大変憂慮しています。

 

三つ目の理由は、禁書の作家として、言論の自由に関心があり、公式に[言論の自由を]擁護してきたからです。たとえそれが、ドナルド・トランプであったとしても。**

**2016年5月、PEN/Allen Foundation Literary Service Awardの受賞スピーチを指す?

 

四つ目以降は、とても個人的な理由になります。私は、若い女性たちの間で性別移行を望む声が爆発的に高まっていることを憂慮しています。そして、性別移行した後に、自分の身体を取り返しがつかないほど変容させ、受胎能力を奪われる一歩を歩んでしまったことを後悔して、detransition(自分の本来の性別(orignal sex)に戻ること)をしているように見える人たちの数が増加していることに憂慮しています。中には、「自分が同性に惹かれることを自覚してから性別移行を始めたけれど、それは部分的に、自分の家族や社会に根づくホモフォビアに触発されたからだった」と言う人もいます。

 

ほとんどの人たちは気がついていないでしょう――私は気がついていませんでした、この問題についてきちんと調べるようになるまでは――10年前まで、異性への性別移行を望む人の大半は男性でした。その割合は、今では逆転しています。イギリスでは「性別移行の手術を勧めた未成年女性(girls)」の人数が4400%増加しました。この数値には、自閉症の未成年女性たち(girls)が過剰に診断・計上されているのです。

 

同じ現象はアメリカでも起きています。2018年、アメリカの外科医兼研究者のLisa Littmanは調査を開始しました。あるインタビューで、彼女はこう述べました。

 

「インターネット上で、親たちは非常に特異な型のトランスジェンダー自認(原文transgender-identification)について説明していました。複数の友達が、場合によってはグループ内の友達全員までもが、同時期にトランスジェンダーであることを自認したのです。社会的伝染と仲間の影響(social contagion and peer influence)を潜在的要因として考慮しないなら、私はあまりにも不注意だったでしょう。」

 

Littmanはまた、TumblrRedditInstagramYoutubeがRapid Onset Gender Dysphoria(ROGD)の要因となっており、トランスジェンダー自認の領域において「若い世代は島宇宙化されたエコーチェンバーを形成した」と考えています。

***ROGD、日本語に訳すとしたら「急速発現性性別違和」みたいな用語? Littmanが2016年7月からウェブ上で、2017年2月から自身の論文で主張している、かなり新しい理論のようです。

 

Littmanの論文は、大変な騒ぎを巻き起こしました。Littmanは偏見を持っている、トランスジェンダーの人々について誤った情報を広めていると非難され、彼女自身と彼女の仕事の信用を落とすための津波のようなハラスメント(abuse)と申し合わされたキャンペーン運動にさらされました。ジャーナルはLittmanの論文をオンラインから取り下げ、再度査読をしてから再掲載することになりました。ところが、彼女のキャリアはMaya Forstaterと似たような損害を被りました。Lisa Littmanは無謀にも、トランス活動家の中心的教義の一つ「人間の性自認は、性的指向と同じく生得的(innate)である」に挑んでしまったのです。トランス活動家たちは、トランスジェンダーになるよう誰かを説得することは不可能だ、と主張しました。

 

現在のトランス活動家たちの主張は、性別違和のティーンエイジャーに性別移行を許さないのであれば、彼ら・彼女らは自殺してしまう、というものです。精神科医Marcus Evansは、ある記事で、自身がTavistock(イングランドにあるNHSジェンダークリニック)を辞めた理由について、以下のように語っています。性別移行を子供たちに許さなければ、彼ら・彼女らが自殺してしまうという主張は、「この分野における研究結果や信頼に足るデータとは、まったく一致しません。また、私[Evans]が心理療法士として何十年も働く間に遭遇した事例の数々とも一致しません」。

 

若いトランス男性の人々の書いた文章は、とても繊細で知的な人々のグループ像を露わにします。彼らの性別違和についての文章を、不安・[周囲からの]断絶・摂食障害自傷行為・自己嫌悪に関する洞察力に満ちた説明と共に読めば読むほど、私は疑問に思いました。もしも私が30年遅く生まれていたら、私も性別移行したくなったのではないだろうか、と。女性であること(womanhood)から逃れる魅力は、大変大きなものだったでしょう。私はティーンエイジャーのころ、重度のOCD(強迫性障害)に苦しみました。もしも私が、自分の周囲には見出すことのできない居場所や思いやりを、オンライン上に見出していたならば。私はきっと、自分に言い聞かせていたことでしょう。「息子の方がよかった」と公言する父の息子になってしまえ、と。

 

ジェンダーアイデンティティについての理論を読むときに私が思い出すのは、自分が青春時代に、どれほど精神的に非・性的に感じていたか、ということです。コレットの、自分は「精神的両性具有者(mental hermaphrodite)」であるという描写、シモーヌ・ド・ボーヴォワールの「未来の女性が、自分の生まれつきの性別(sex)によって課せられた制約の数々に憤るのは、極めて自然なことです。真の問いは、『なぜ彼女は[その制約の数々を]拒否すべきなのか』ではありません。むしろ『なぜ彼女は[その制約の数々を]受け入れるのか』です。」という言葉を思い出すのです。

 

1980年当時の私にとって、現実的な「男性(man)になれる可能性」は存在しませんでした。私が精神面の健康問題と――数多くのティーンエイジの女の子たちに、自身の身体との戦争を始めさせる、あの――じろじろと性的に凝視されたり、品定めされたりする問題を乗り越えるには、本と音楽しかありませんでした。幸運にも、私は自分にとっての「他者性」、「女性であることへの葛藤」といった気持ちに気がつきました。そうした「気持ち」はすでに女性の作家やミュージシャンたちの作品に反映されており、「性差別的な世界は、女性の身体を有する者たち(the female-bodied)にありとあらゆる物を投げつけるけれど、自分の頭の中でまで女の子らしくフリルたっぷりに、服従的に感じなくても構わない。混乱し、憎悪し(dark)、性的にあるいは非・性的に感じたり、自分が何者なのか自信がないと感じたりしても大丈夫なのだ」と私に保証してくれました。

 

 ここで、私がはっきりさせておきたいのは、こういうことです。性別移行は、性別違和を抱える一部の人たちにとっての解決策になります。その一方で、私は広範囲の調査を通じて、性別違和を抱えるティーンエイジたちのうち、60%から90%は性別違和の状態から卒業する(grow out)という研究結果があることも知っています。何度も何度も「トランスジェンダーの人に会えばいい」と言われてきました。既に会っているのに。何人かの若者たちに会いましたが、皆魅力的な人たちでした。それから、私よりも年配の、素敵な自称・性転換女性(self-described transsexual woman)****とも偶然知り合いです。彼女は過去の、自分がゲイの男性であった時代についてオープンですが、彼女を女性以外の存在として考えることは、私には難しいことでしたし、彼女は性別移行したことを大変満足している、と私は考えています(し、満足であってほしいです)。しかし、年齢の高さゆえに、彼女が経験した診断、心理療法、段階的転換のプロセスは、長く厳しいものでした。現在の爆発的なトランスアクティビズムの潮流は、かつて性転換(sex reassignment)の候補者たちが通過しパスするよう課されていた厳重なシステムのほとんど全てを取り払うように要求しています。手術を一切受けるつもりがなく、ホルモン剤を摂取する気もない男性が、いまや性別確認証明書(Gender Recognition Certificate)で自衛し、法律的に女性になることができるのです。多くの人たちがこのことに気づいていません。

****「性転換女性」という訳語について。JKローリングは「トランスジェンダーの女性(transgender woman・トランス女性)」と、「トランスセクシュアルの女性(transsexual woman・性転換手術を経験済みの、元男性の女性)」とを明確に区別していると判断し、ここでは「トランス女性」とは異なる訳語をあてています。

 

私たちの生きている時代は、私自身かつて経験したことがない、もっとも女性嫌悪的な時代です。1980年代の私は、もしも娘を産んだなら、私が享受したよりももっと良いもの[例えば環境や世界を]享受するだろう、と娘たちの将来を想像していました。しかし、フェミニズムへのバックラッシュとポルノで飽和したインターネット文化との狭間で、女の子たちにとって、状況は著しく悪化しているように思います。今日ほど、女性が侮辱され、人間性をはく奪されている光景を見たことはありません。

 

長年にわたって性的暴行と「やつらをまんこで掴む」という大自慢を非難されてきた自由世界のリーダーから、セックスを提供しない女性たちに憎悪を向けるインセル不本意の禁欲主義者)ムーブメント。そして、TERFは殴られ、再教育される必要があると断言するトランス活動家まで。政治上の立場を横断して、男性たちは合意しているようです。「女どもの自業自得だ」と。どこであれ、女性は「黙れ」なり「座れ」なり命令されているのです。

 

私は「生まれついた性別の身体(sexed body)に女性性が存在するのではない」と論じる、ありとあらゆる主張を、生物学的女性たち(biological women)に共通体験なんてものはないとする、ありとあらゆる根拠なき主張を読みました。私はこうした主張も、非常に女性嫌悪的で退歩的であるように思います。もう一点明らかなことは、生まれつきの性(sex)の重要性を否定しようとする動機の一つが、「女性たちは、自分たちの生物学的リアリティ(biological reality)を持っている」という考えを、また――全くもって恐ろしいことですが――「女性たちの体験の統合がまとまりのある政治的階級である」という考えを、一部の人々が意地の悪い性別隔離主義的な思想だと見なし、打ち崩そうとしているからです。私がこの2、3日のあいだに受け取った何百通ものメールは、こうした[「女性たちの『生物学的リアリティ(biological reality)』という共通体験」や政治的階級に関する]考えのゆっくりとした崩壊は、他の人々にも同様に憂慮されている、ということを証明しています。女性たちは、トランスジェンダーの人々のアライであるだけでは、不十分なのです。女性たちは、自分たちとトランス女性とのあいだに、どのような物理的違いもないことを承認しなければならないのです。

 

しかし、私が言う前から多くの女性たちが言ったきたように、「女性」はコスチュームではありません。「女性」とは、男性の頭の中にある概念ではないのです。「女性」とは、ピンク色の脳みそではありません。近年、どういうわけか「進歩的である」と吹聴されるようになった「[女性は]ジミー・チューを好む」だとか、その他諸々の性差別的な概念ではないのです。ましてや、女性の人たち(female people)を「月経のある人たち(menstrator)※」だとか「外陰部のある人たち(people with vulva)※」と呼ぶ、あの「インクルーシブ」な言葉遣いは、数多の女性たちにとって、自分たちの人間性をはく奪し、侮辱するかのような印象を与えています。そのような言葉遣いが不適切ではなく、気遣いのあるものだ、とトランス活動家が考える理由は分かります。しかし、そのような屈辱的な罵倒を、暴力的な男性たちからツバでも吐くように投げかけられた経験のある私のような人たちにとって、[そのような言葉遣いは]中立的ではありません。それは敵意に満ちた、排外的な言葉遣いなのです。

※追記。menstrator、people with vulvaについて。中立的(非・差別的)な意味合いで訳すと「月経のある人たち」「外陰部のある人たち」になりますが、差別的な意味合いで訳すと「経血漏らし」「まんこ持ち」のような言葉になります。日本語では、文脈によって全く別の言葉になってしまいますが、英語では非・差別的な文脈でも、差別的な文脈でも、同じmenstrator、people with vulvaが兼用される状態のようです(JKRの言葉を信じるならば)。この前提に立てば、なぜJKRがこれらの単語・フレーズを問題視しているのかが分かりやすくなると思います。

 

こうしたことから、私が深く憂慮している五つ目の理由が生まれます。現在のトランスアクティビズムの潮流がもたらす結果です。

 

私は20年以上、世間から注目されてきましたが、自分が家庭内暴力と性暴力のサバイバーである、という話を公にしたことはありませんでした。自分の身に起きたことを恥じていたからではありません。[過去の記憶を]再訪し、思い出すことが耐えがたいほど苦痛だからです。また、1回目の結婚のときの娘を守らなければ、と思う気持ちもあります。彼女のものでもある物語を、自分だけの物語であるかのように主張したくなかったのです。ですが、少し前に「もしも私の人生の一部について、隠し立てせずに公にしたらどう思う?」と娘に質問したところ、彼女はそうしたら良いと私を励ましてくれました。

 

私がこうしたことを今お話しするのは、同情を引きたいからではありません。私とよく似た過去を持つ、単一性の空間(single-sexed spaces)について心配することで「偏見持ち」と侮辱されたことのある、数多くの女性たちと連帯したいからです。

 

私は1回目の暴力的な結婚から、いくつかの困難を経てなんとか逃げ出しました。今は、本当に善良で信念のある男性と結婚し、百万年かけても実現するとは到底期待できなかったような安全で安心感のある暮らしをしています。しかし、暴力と性的暴行が残した傷の数々が消えることはありません。どんなに愛されていようとも。どんなにお金を稼いだとしても。私が昔から驚きやすいことは、家族の中ではジョークになっていて、私ですら面白いと思っています。ですが、私は祈っているのです。どうか自分の娘たちが、突然の大きな物音や、自分に近づいてくる音が聞こえない状況で背後に人が立っていたことに気づくのを、私と同じ理由で毛嫌いすることが絶対にありませんように、と。

 

 もしも貴方が私の頭の中を覗いて、トランス女性が暴力的な男性の手によって殺される話を読むたびに、私がどんな気持ちになるのかを知ることができたなら、私の頭の中に、彼女たちと連帯する気持ち、彼女たちを同胞と思う気持ちがあることに気づくでしょう。 暴力的な男性の手によって殺されたトランス女性たちが、地球上で過ごした最後の何秒間かに体験した恐怖を、私は理屈抜きの直感で察することができます。なぜなら、私もそういった盲目的な恐怖の瞬間を理解していたからです。私が生きていられるかどうかは、私を攻撃する人の不安定な自制心にかかっている、と気がついたあの瞬間を。

 

私は、トランスジェンダーを自認する人々(trans-identified people)の大多数が、他の人々になんの脅威ももたらさないどころか、私が説明した数々の理由により、むしろ脅威にさらされているのだと考えています。トランスジェンダーの人たちは守られる必要がありますし、守られなければなりません。女性と同じように、彼ら・彼女らは、性交渉の相手(sexual partners)に殺される可能性がもっとも高いのです。性風俗業で働くトランス女性、中でも有色人のトランス女性は、とくにリスクにさらされています。私の知っている他の家庭内暴力や性的暴行のサバイバーたち同様、男性に虐待されたトランス女性たちに対し、私はただただ共感と連帯の念を覚えるばかりです。

 

つまり、私はトランス女性たちに安全でいてほしいのです。と同時に、生まれつきの(原文natal)女の子たち、女性たちの安全を損ないたくもないのです。浴室や更衣室の扉を、自分が女性であると信じている、感じている男性ならば誰かれ構わず開くとき――そして、すでに私が書いた通り、いまや性別確認証明書は手術もホルモン剤も必要としません――貴方は、中に入りたいと思う全ての男性たちに、誰かれ構わず扉を開いているのです。それが、純然たる事実です。

 

土曜日[6/6(土)]の朝に、スコットランド政府が物議をかもしている性別確認の法案を推し進めている、というニュースを見ました。その法案が効力を持つようになれば、「女性になる」必要のある男性は皆、自分が女性であるという言うようになる、ということです。とても現代的な言葉を使うなら、私は「キレ」ました。トランス活動家たちによるSNS上での容赦ない攻撃に打ちひしがれながら、子供たちがロックダウン中に私の本のために描いてくれた絵の感想を述べるためだけにあの場にいる時間、私は土曜日の大半を、自分の頭の中の暗い場所で過ごしました。私が20代のころ苦しんだ、深刻な性的暴行の記憶の数々が何度も何度もくり返し甦ってきたのです。あの暴行は、私が弱い立場であったあの時あの空間で、男がチャンスに乗じたから起きたのです。私はその記憶の数々を頭から締め出すことができませんでした。そして、私の政府の、女性や女の子たちの安全をぞんざいに扱っている、と私が考えているやり方に対する怒りと失望を我慢しがたいことに気がつきました。

 

土曜日の夜遅く、寝る前に子供たちが描いた絵をスクロールしながら、私はツイッターの第一のルール――絶対に、絶対に、微妙なニュアンスに富んだ会話ができると思ってはいけない――を忘れ、女性を侮辱するような言葉遣いに反応してしまったのです。私は生まれつきの性別(sex)の重要性について声を上げ、以来、代償を支払い続けてきました。私はトランスジェンダー嫌いで、私はまんこで、クソ女で、TERFで、キャンセルされ・殴られ・死ぬのは自業自得だったのです。ある人は「お前はヴォルデモートだ」と言いました。明らかに、私が理解できる言語はそれしかないと信じているようでした。

 

あの認知度の高いハッシュタグをツイートする方が、よっぽど簡単でしょう――なぜならもちろんトランスジェンダーの人々の権利は人間の権利で、もちろんトランスジェンダーの人々の命を蔑ろにしてはならないからです――目覚めのクッキーをすくい上げ*****、キラキラとした美徳の残光に浴するのです。そうした行為には、喜びが、安堵が、同調することへの安心感があります。シモーヌ・ド・ボーヴォワールも書いたように、「疑う気持ちがなければ、盲目で拘束された状態をより居心地よく我慢することができます。自身の解放に向けて働きかけるよりも。死者たちも、地面の方が適しているのです。生者たちではなく」。

*****目覚めのクッキーは原文では「woke cookies」になります。「woke」は、社会的不正義や人種差別に対して敏感であること、反対的であること(→目覚めていること)を指します。「woke cookies」というフレーズを英語で検索しても見つけられなかったのですが、文脈的に「叩きやすいネタ(を拾って善人っぽい感覚を満喫する)」みたいな意味かな、と思います。

 

大変な人数の女性たちが、正当な理由からトランス活動家たちを恐れています。なぜ私が知っているのかと言うと、たくさんの女性たちが私に連絡を取り、自分たちの話を聞かせてくれるからです。彼女たちは恐れているのです。インターネット上に個人情報をさらされることを。自分たちの仕事や生計手段を失うことを。暴力を。

 

絶え間なく標的にされ続けることは、果てしなく不愉快です。ですが、明らかな実害を生んでいる、と私が信じている、政治的階級・生物学的区分としての「女性(woman)」を崩壊させることを目論み、捕食者に隠れ蓑を提供しようとする運動に降参することを、私は拒みます。

 

言論の自由・思想の自由のために、そして、私たちの社会で暮らすもっとも立場の弱い人々――若いゲイの子供たちや、傷つきやすいティーンの子供たちや、単一性の空間(single sex spaces)に拠り所を見出しその状態を維持したいと考える女性たち――の権利と安全のために立ちあがる、勇敢な女性の、男性の、ゲイの、ストレートの、そしてトランスの人々と、私は共に在ります。アンケート調査では、そのような女性[単一性の空間(single sex spaces)に拠り所を見出し、その状態を維持したいと考える女性]が大半であるという結果が示されています。その中から、男性の暴力や性的暴行に一度も遭遇したことがないような、恵まれた、あるいは幸運な人たちを除外してください。そして、男性の暴力や性的暴行がどれほど蔓延しているのか、わざわざ学ぶ必要のなかった人たちを除外してみてください。[一体どれだけの女性が除外されるのでしょう?(否、ほとんど除外されないのでは?)]

 

私に希望を与えくれるのは、抗議し団結できる、あるいは既にしている女性たちです。そして、彼女たちには本当にきちんとした男性たち、トランスジェンダーの人たちという味方がいます。こうした議論においてもっとも声の大きいグループをなだめようとする政党群は、女性たちの懸念を、彼女たちにとって危険であることを承知の上で無視してるのです。イギリスでは、苦労の末にやっとのことで手に入れた権利が少しずつ損なわれてゆくこと、脅威が蔓延していることを憂慮した女性たちが、政党の垣根を越えて互いに手を取り合っています。私が話したことのあるジェンダークリティカルの女性の中に、トランスジェンダーの人たちを嫌っている人など一人もいませんでした。むしろ、その反対です。ほとんどの人たちは、この問題に興味を持つようになったきっかけが、若いトランスジェンダーの人たちを心配していたからなのです。彼女たち[ジェンダークリティカルの女性たち]は、シンプルに自分の人生を生きようとしている大人のトランスジェンダーの人々にとても同情的です。にもかかわらず、自分たちの支持していない活動を理由にいわれなきレッテルを貼られたせいで、バックラッシュを受けているのです。この上なく皮肉なことに、「TERF」という言葉で女性たちを沈黙させようとする試みは、より多くの若い女性たちをラディカル・フェミニズムに駆り立てたようなのです。この[ラディカル・フェミニズムの]運動が、過去数十年間に経験したこともないほどの人数の。

 

私が最後に伝えたいのは、こういうことです。私がこのエッセイを書いたのは、私のために誰かがバイオリンを取り出してくれるのではないか******、と期待したからではありません。全くもって、これっぽっちも。私は並外れた幸運に恵まれています。私はサバイバーで、確実に被害者ではありません。自分の過去についてお話したのは、この惑星にいる他のどの人間たちとも同じように、私が複雑な過去を持っていて、その過去によって私の恐怖は、関心は、意見は形作られていることを示すためです。架空のキャラクターを創作している時の、あの内なる複雑さを、私は一生忘れません。トランスジェンダーの人々の内なる複雑さに至っては、なおのこと、一生涯にわたり忘れないでしょう。

******バイオリンを取り出す(get the violins out)…皮肉orおどけたジョークで、誰かがアホな理由で悲しんでいるor怒っているときに使う表現です。仲の良い友達に言うのはOKですが、ただの知り合いや自分よりも立場が上の人(上司とか)に言うと、とても失礼な人だと思われるので、注意が必要なフレーズです。JKローリングの場合は、自分が怒ったり悲しんだりしている理由がとてもちっぽけな理由であるかのように、あえてこの表現を使っているようです。

 

私がお願いしているのは――私がお願いするのはそれだけです――[自分がするような共感や理解に]似た共感であり、理解なのです。脅迫や虐待を受けることなく、自分たちの心配に耳を傾けてもらいたいと願うという、ただ一つの罪を犯した何百万人もの女性たちにも適用されるような、共感であり、理解なのです。

 

 

千田有紀「「女」の境界線を引きなおす」再読

以下、この記事を書くにあたり目を通した論考・ブログなど。

千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」『現代思想3月臨時増刊号(総特集)フェミニズムの現在』

千田有紀「「女」の境界線を引きなおす:「ターフ」をめぐる対立を超えて」(『現代思想3月臨時増刊号 総特集フェミニズムの現在』)を読んで - ゆなの視点

未来人と産業廃棄物――千田先生の「ターフ」論文を読んで|夜のそら:Aセク情報室|note

「性暴力被害にあったから男性の身体が怖い。だから女子トイレを使ってほしくない」という言葉。 - Togetter

「女」の境界線を引き直す意味-『現代思想』論文の誤読の要約が流通している件について|千田有紀|note
※初出時タイトルでは「誤読の要約」ではなく「虚偽の要約」

千田氏の応答に対して - ゆなの視点

トランスジェンダーのトイレ使用の在り方に関する、賛否両論の議論 - Togetter

 

上記に一通り目を通した上で、千田さんの記事に対する批判等をいったん全部忘れてから、改めて「「女」の境界線を引きなおす」を読んだ感想を書いてみよう、というのがテーマです。

と言いつつ、再読にあたって設定した読解の切り口は、「どこに誤読させやすいポイントが潜んでいると感じるか」です。

雑感ですが、本文8000字という字数制限に対して、論考内でカバーしようとする範囲が大きすぎるから説明不足な部分が出てくるし、論理的に飛躍しているように見える箇所があるのでは? と思いました。

ただ、論考の終盤に提示される「トランス排外的だけどトランス差別主義者ではないフェミニスト」VS「ターフ狩りでフェミニストに物理的危害を加えようとするクレイジーなトランス女性」の対立構図がインパクト強いので、「この論考を読んでシス女性とトランス女性が連帯するとか無理では?」と思いました。


厳密には「フェミニスト」VS「正体不明の犯罪者」と要約すべき箇所です、が、たとえば「非白人排外的な人に「レイシスト」のレッテルを貼って危害を加えようとする人たち」という説明を読んで、「犯人は白人だか有色人種だかわからんな!」という結論に真っ先に到達する人がどれだけいるのかな、と思います。「犯人はクレイジーな有色人種なんだろうな」と、なんとなく考えてしまう人の方が多いのではないでしょうか。

はっきり言って、この論考を読んで、シス女性とトランス女性は連帯可能である、と思える読者がどれだけ生まれるのか……むしろ「シス女性の不安を顧みず、シス女性のテリトリーに入り込もうとする凶暴なトランス女性」のイメージが強調されており、シス女性がトランス女性を敬遠するのは仕方がない、と言い訳しているように読める論考だと思います。

ちなみに、私自身はフェミニズムジェンダースタディースの専門家ではないのですが、どの程度「専門家ではない」のかというと、「(オリエンタリズムや欧米における芸者/ゲイシャ表象、欧米映画における日本人女性・アジア人女性の表象に関心があるのでなんとなくフェミニズム界隈の動向も視野に入れてはいますが、フェミニズムジェンダースタディーズ関連の研究業績はないし大学で講義をしたこともないので)専門家ではありません」というレベルの非専門家です。

フェミニズムについて完全にノー勉というわけではないのですが、そうかといって長年専門で研究調査している研究者ほど知識があるわけではなく……という、なんとなくフェミニズムかじってます~な普通の一般人が、なんとなーく感想を書いてる、という程度に思っていただければ幸いです。

※追記。千田論考の「読みにくさ」の原因になっている飛び石話法ですが、私は映画的な文法だな〜と思いました。一見関連性のなさそうな映像をぱっぱっぱっと連続で見せて、オーディエンスにナラティブを脳内補完させるアレです。千田論考のナラティブについて論じるためには「飛び石の並びがどのような連続性を持っているのか」を考える必要があると思うのですが、飛び石のつながりを明示しない文章って、はっきり言って論文評論批評文に向いてないんですよね。論考なんだから基本的なナラティブは筆者が明示しすべきだし、その「筆者が明示すべき基本ナラティブ」の道筋を読者に脳内補完させるような書き方をするな、と思います。

 

以下、本題。

 

①導入部分で引っかかった点
(P246)「いまや「ターフ」は中傷の言葉であり、侮辱や暴力的なレトリックとともに使われている――日本でも、同じような状況が起こりつつあるのではないかと危惧している」

長い表現を短縮・省略した言葉が侮蔑語として使われやすい法則があるそうなので(スティーブン・ピンカー『思考する言語』で読んだ気がする)、「ターフ(TERF)」が「トランス排外的なフェミニスト」を侮蔑する言葉として使われる状況が生まれていたとしても、とくに不思議ではないです。

個人的に気になるのは、「いまや「ターフ」は…使われている」という文言によって、「ターフ」の第一義的な意味が、すでに「〈侮蔑語〉トランス排外主義的ラディカルフェミニスト」に乗っ取られてしまったのではないか、と読者に誤読させる書き方になっていることです。

一応、註(3)で「念のためこの引用には…申し添えておく。」とフォローが入れられていますが、この点については本文内で言及すべきだと思います。「ターフが侮蔑語か否かの統一的見解はまだ出ていない」という情報は、本文内でも言及すべき点だと思います。

読者が大学院生や研究者であれば、註にまで目を通すことを前提として本文を構成するのは普通だと思いますが、アカデミックな業界の外にいる一般読者に向けて書くのであれば、この書き方は不親切でしょう。

字数制限の関係で記述できなかったとするのであれば、テーマ設定が甘いというか、過不足なく情報を提示してなるべく誤読させないような表現をしたうえで8000字の論考に収まる題材に絞るべきだと思います。

あるいは、「このAという問題には1と2と3という切り口があるが、本論考では2の切り口から考えて、1と3は別稿に譲ることにする」としたうえで8000字書くとか。 

 

②トランス女性のトイレ・風呂の話題から、「バンクーバーのシェルター破壊事件」へのつながり

「(シス女性のみを対象とした、シス)女性用トイレ」と「(シス)女性用トイレを利用するトランス女性」の話をした直後に、章立てが区切られているとはいえ、「(シス女性のみを対象とした、シス)女性用シェルター」が何者かによって破壊される、という事例を出すのは、文脈上迂闊ではないでしょうか。

この文章を読んだ読者に、「(シス女性のみを対象とした、シス)女性用トイレを、トランス女性に破壊されるのではないか」「(シス女性のみを対象とした、シス)女性用の風呂を、トランス女性に破壊されるのではないか」と連想させる余地が大きい書き方だからです。

「裁判所が破壊され、「女性は人間である」というスローガンが書きこまれる騒ぎがあった」という文言を読み、「犯人は男性かもしれない」と考える人は少ないでしょう。

「「女性は人間である」と主張しているのだから、きっと当事者である女性がやったのだろう」と(好むと好まざるとに関わらず)連想してしまうのではないでしょうか。

同じように、「(シス女性のみを対象とした、シス)女性用シェルターが破壊され、「トランス女性は女性である」というスローガンが書きこまれる騒ぎがあった」という情報を目にした読者が「「トランス女性は女性である」と主張しているのだから、きっと当事者であるトランス女性がやったのだろう」と(好むと好まざるとに関わらず)連想してしまうのは、致し方のないことだと思います。

この点については、一応、第3章「ターフ探しがもたらすもの」の終盤(P254上段末尾)で「これが誰によってなされたかはわからない。トランスはたんに、破壊行為の口実として使われている可能性すらある。」と軽くフォローが入れられています。

が、論考の最後の最後にちらっと言及されるだけなので、言及のタイミングが遅すぎると思いますし、言及する際の比重があまりにも軽いので、「トランス女性は暴力的な手段も辞さないやばい連中なんだろうな」と読者に勘違いさせやすい文章だと思います。

このフォローは論考全体の終盤ではなく、バンクーバーのレイプ救援・女性シェルターについて初めて言及する際に提示するべき情報でしょう。

もしくは、バンクーバーのシェルター破壊事件ではなく、「トランスを口実とした犯罪行為で、のちに非トランスの犯人が逮捕された事件」を例として提示するのが適切ではないでしょうか。

「トランス女性が犯人だとは言ってない、でも犯人は逮捕されてないから本当にトランス女性じゃないのかは分からない、本当はトランス女性かもしれない、でもトランス女性じゃないかもしれない」という、犯人の正体がシュレディンガーの猫状態になっている事件をわざわざ例に持ち出すのは、読者の不安を煽るだけであるように思います。

ましてや「トランスに負担を強いる形で、トランスのトイレの問題は「問題がない」ことになっている」という周囲の人たちを提示した直後とあっては、なおさら「日常生活で負担を強いられているトランス女性が、いつか(シス)女性用トイレを破壊するのではないか」と示唆している文章だと読まれてしまっても致し方ありません。

 

③(P249上段)日本の公衆浴に対する留学生の意見の引用
「全裸で同性の他人と風呂につかるという日本的な入浴方式は確かにまれなものであるようで、合宿の前などには欧米からきた留学生はかなり露骨に驚きと嫌悪の情を示す。」

この留学生たちが想定する「同性」は、「(シス男性である)同性」「(シス女性である)同性」であって、「(トランス男性である)同性」「(トランス女性である)同性」は想定されていないのではないか? と疑問に感じます。

にもかかわらず、「((…)[性別適合]手術[の]要件がなくなったら、ペニスのある女性が女湯に入ることを認めなくてはならないのではないか、という)将来を見据えているからこそ不安が掻き立てられているのではないか」と記述した文章の直後に「全裸で同性の他人と風呂につかる…驚きと嫌悪の情を示す。」という文章を置くのは、文脈上うまく接合しないのではないでしょうか。(それとも「シスの同性ですら驚きと嫌悪の対象なのだから、況やペニスのあるトランス女性おいてをや」ということなのでしょうか?)

また、こうした銭湯・スパなどの公衆浴場においてトランス女性を取り巻く問題は「浴場」に限った話ではなく、「脱衣場」という空間においても発生するのではないでしょうか。

なぜなら、「(シス女性用の)女湯の脱衣場で着替え」なければ、「(シス女性用の)女湯の浴場に入る」ことはできないからです。

しかし、この「トランス女性の着替え」の問題について、註(11)ではフォローされておらず、まるで着替えの問題が存在しないかのように扱われています。

海外のスパであれば、下着や水着を身に着けられるので回避可能な問題である、という風にみなすのは楽観的すぎますし、「日本的な入浴方式が稀だから起きる問題」であるようにも思えません。

この公衆浴場の問題で想定されているトランス女性が、仮に「ペニスのある女性」であったとしても、上半身の手術が済んでいるか否か、ホルモン治療の進度、化粧、髪型などの要因によって、着替えの問題を避けて通れない人が出てくる以上、脱衣場の問題は楽観的に看過できないのではないでしょうか。

 

④(P249下段)「強姦」の定義とレトリック~トランス女性の存在に「混乱」?
「「強姦罪」は、女性器に男性器を挿入することによって成立し、それ以外は「強姦」という「犯罪」として認められなかった」
「男性の身体の定義を挙げろといわれたら、多くのひとが「ペニスがあること」を挙げる社会で、「男性器がついているけれども女性だというジェンダーアイデンティティがあるから女性」という存在に混乱を覚えるのは、必ずしも「差別意識」からではない。」

まず、「「強姦罪」は、女性器に男性器を挿入することに【限られ】、それ以外は「強姦」という「犯罪」として認められなかった」と表現した方が、旧来の「強姦罪」の定義の狭さを読者に強く印象づける文章になるのではないかと思います。

また、フラワーデモのきっかけとなった「加害者が被害者の女性器にむりやり男性器を挿入していたにもかかわらず、「強姦」という「犯罪」が認められなかった」日本の裁判事例などについて考えると、「強姦罪」の変遷とペニス挿入・異物挿入の問題は、もっと字数を割いて丁寧に分析するべきではないでしょうか。(むしろ、このテーマだけで8000字以上書いても良かったのでは?)

シス女性の「不安の源」として「男性器」にばかりスポットライトが当たるこの論考を読んでいると、「シス女性がペニスのあるトランス女性に恐怖心を持ってもしかたないよね。だって強姦されるのは怖いもの」と読者が考えてしまったとしても仕方がないと思います。

ただ、千田さんはP249下段で「シス女性はペニスを有するトランス女性が怖いから、トランス女性を排除しようとしてしまう」とは書かずに、「(シス女性は)「男性器がついているけれども女性だというジェンダーアイデンティティがあるから女性」という存在に混乱を覚える」と表現しています。

「怖い」「恐れ」といった恐怖心の類と「混乱」とは、明らかに意味の異なる感情・状態を指すにもかかわらず、です。

私はここに「論理のすり替え」が発生しているように思います。

直前の文章では「「貞操」――「処女性」をはかるメルクマールが、男性器による女性器への挿入と考えられている社会で、[シス]女性が男性器を恐れるのは故なきことではない。」と、「なぜシス女性はペニスを恐れるのか」が解説されていました。

また、直後の文章では「[シス]女性たちがトランス女性と風呂やトイレを共有するときに、不安の源として「[男]性器」に目が行くのは、これまた理由のないことではないのだ。」と、「シス女性がトランス女性のペニスに不安を抱くこと」を肯定していたはずです。

前後の文章の流れに素直に従うならば、「シス女性はトランス女性のペニス(≒男性器)を恐れ、不安に思うからこそ、トランス女性を排除しようとしてしまう」という趣旨の文章が、前後の文章のあいだに入るはずです。

なぜ、「(シス女性は)「男性器がついているけれども女性だというジェンダーアイデンティティがあるから女性」という存在に恐怖を覚える」という表現が放棄され、「(シス女性は)「男性器がついているけれども女性だというジェンダーアイデンティティがあるから女性」という存在に混乱を覚える」という、文脈上のうまく接続しない(あるいは説明不足により前後の文脈がうまくつながらない)表現が選ばれてしまったのでしょうか。

 

(とはいえ、仮に「(シス女性は)「男性器がついているけれども女性だというジェンダーアイデンティティがあるから女性」という存在に恐怖を覚える」と書いたとすると「それってトランスフォビアなのでは?」とツッコミを入れられてしまう文言ですよね…)

 

ジェンダー論の第三段階

第2章のタイトルにもなっている「ジェンダー論の第三段階(第三期)」は、箇所によって同意できたり、同意できなかったりしますが、千田さんの提唱する「第三期」の内容は、部分的にであれば了解可能なのではないか?と考えています。

「第一期」「第ニ期」と異なり、代表的なフェミニストや思想家の名前が引用されていない点を考えると、千田さん独自の分析のみに準拠しているのかもしれませんが、千田さんが引用していないだけで、他にも似た分析をしている人がいるのかもしれません。

もっとも、第2章「ジェンダー論の第三段階」のテーマだけ取り上げて8000字費やしてもよいのではないかと思いますが…。

 

⑥(P251上段)「第三段階」で主張される「身体変容の自由」
「こうした第二期のジェンダーアイデンティティや身体の構築性を極限まで推し進めた際に、身体もアイデンティティも、すべては「フィクション」であるとされるのであったら、その再構築は自由に行われるべきはないかという主張[が、第三期の特徴]である。」

千田さんの論じる「第三期」の特徴は、言い換えると、「自分の肉体を、人工的な手段によって人為的に変化させることが、タブーではない時代」と表現できると思います。

そういう意味では、「第三期」は「性別を人工的に変更することがタブー視されない時代である」、と換言することもできます。

私は、第三期を「人工的・人為的な身体変容(性別含む)をタブー視しない時代」と定義した場合に限り、千田さんの段三段階の説明について同意してもいいのではないかと思っています。I think it is safe to agree on this specific point.です。

と同時に、「美容整形やコスメ、ダイエット、タトゥーなど」の「身体変容の自由」のノリの軽さと、ホルモン治療や性別適合手術などの「身体変容の自由」のノリの重さを考えると、おいそれと同列に扱ってはいけないのではないか、とも。

っていうか、P252下段L14-16に「(実はすべてのひとにとって、その[セルフ・アイデンティティの選択という]自由の行使はそう容易でもなければ、均等に分配されているわけでもないことは別稿に譲るとして)」って書いてあるので、千田さんもこの「身体変容の自由」のノリの軽さ・重さについて意識しているのではないかと思うのですが、ソレたぶんいま別稿に譲っちゃダメだったやつぅ~~~~!!そこ「別稿に譲」っちゃったからいま話がこじれてる理由の一つな気がするぅぅ~~~~~~!!!と考えております。(たぶん字数制限の問題だと思いますが、だったらもっとテーマを絞って以下略)

トランスの人々にとっての「心の性別に一致した肉体を獲得するための一連の行為(ホルモン治療、性別適合手術など)」が、「美容整形やコスメ、ダイエット、タトゥー」のようにお気軽に選べるような選択肢ではない、という点は、絶対に看過できないと思うので。

自分の心の性別に異性である肉体を一致させたい、と願うトランスの人たちにとって、自分がそれまでの生活で演じてきた・築いてきた「男性としての自分」「女性としての自分」や、周囲との関係に決定的な変化を起こさなくてはいけない(しかも周囲が受け入れてくれるのか不明)、という状況がすでにかなり苦痛ではないか?と思いますし、ホルモン治療や性別適合手術をするかどうかは、人によっては生きるか死ぬかと同レベルの大問題でしょう。

金銭的な問題もあれば、薬が体質にあうあわないなどの肉体的な問題もあるでしょうし、物理的に自分の身体が変化することによる精神的なショックの問題もあると思います。

そういう諸々を踏まえた大決断を必要とする「身体変容の自由」と比べたら、たとえば私の「わき毛をレーザー脱毛」という「身体変容の自由」は柴犬の寝息にすら吹き飛ばされる軽~いノリの「身体変容の自由」でしかなく、トランスジェンダーの人々が性別違和を解消するための「身体変容の自由」と同列に語ることはできないし、語るべきでもないと思います。

本文で例示された、美容・ファッション目的の「身体変容の自由」は、トランスの人たちにとっての「身体変容の自由」というよりも、ドラァグクイーンドラァグキングたちにとっての「身体変容の自由」のイメージに近いのではないでしょうか。


もっとも、ドラァグクイーンドラァグキングたちの「身体変容の自由」が軽いノリに見えるのは、舞台上で明るく楽しそうに既存のジェンダーの枠組を越境する彼ら・彼女らの姿に限定した場合だと思いますが。

 

⑦トランス女性のトイレ問題
【部分要約】トランスの人々を「肉体の生物学的な性別」によって「男性/女性」に区別することは、もはやできない。では、どういう基準で彼ら・彼女ら(ここでは「トランス女性のスポーツ選手たち」)の性別を「男性/女性」の「女性」にカテゴライズすることができるのか。いろいろと検討されてきた結果、テストステロン値によって「男性/女性」を分けようとしたケースがあった。しかし、「テストステロン値」という基準もまた不完全な基準であった。普遍的な「男性/女性」のカテゴライズ方法は未だ発見されていない。

「こうした社会において、トランス女性のトイレや公衆浴場の利用といった日常生活における「男性/女性」のカテゴリ分けはどのようになされるべきであろうか。」と話が続き、スウェーデンユニセックストイレの紹介で「必ずしも「男性だから(シス)男性用トイレに入らないといけない」「女性だから(シス)女性用トイレに入らないといけない」というわけではない」という文脈ができたところで、「トランス女性だからといって(シス)女性用トイレに入らないといけないわけではないのではないか」という問題提起が出てきます。

私は、この「トランス女性だからといって(シス)女性用トイレに入らないといけないわけではないのではないか」という問題提起が、トランス女性を「従来の「女性」トイレ」から締め出すことを容認しているように感じられました。

「トランス女性を(シス)女性用トイレから排除しても構わない」とはっきり書かれた文章ではないのですが、「なぜそこ[トランス女性が安心安全を感じて使用可能なトイレ]が従来の「[シス女性用の]女性」トイレだとアプリオリに決められているのか。」という問題提起の仕方は、今後議論が進められていくなかで、(シス)女性の安心安全を確保するためにトランス女性を(シス)女性用トイレから排除する結果になったとしても仕方がないと論じている、と批判することが可能な文章になっていると思います。

スウェーデンユニセックストイレの紹介(トイレ空間における「男性/女性」区分の解体)は、読者に「日本でユニセックストイレを導入するのはちょっと非現実的そうだ(「男性/女性」区分を解体したトイレ空間の導入は、日本だと難しい)」と考えさせる文章ですが、このユニセックストイレの話をもってして「「なぜそこが従来の「女性」トイレだとアプリオリに決められているのか。」という文章は、トイレ空間における「男性/女性」区分の解体を提唱している」と考えるのは正直苦しいものがあります。

もちろん、前後では「そもそも「女性が安全にトイレを使うとともに語られるべき事柄は、「トランス女性が安全にトイレを使う権利」でもあるべきだ。」「皆が安全だと「感じられるか」どうか」が問題である」と説明されているのですが、この論考では「シス女性のペニスへの恐怖(シス男性かトランス女性かは不問)」には言及しても、トランス女性が現在の環境で感じ得る恐怖、たとえば「あまりひとの来ないトイレで暴行・強姦されたらどうしよう」と不安に感じているのではないか、といった点については触れられていません。

「シス女性のペニスへの恐怖(シス男性かトランス女性かは不問)」「シス女性の安心安全の問題」が大きく前景化された文章において、後景化された「トランス女性の安心安全の問題」を指して「すべての人の安心安全について考えています」と言われても、ただのポーズだと思われても致し方ないのではないでしょうか。

 そのような文脈において「私たちに必要なのは、どのような分割線を引くことで、すべてのひとに安心・安全がもたらされるのかを問い、多様性のためには、相応の社会的なコストを支払い、変革していくことに合意することではないのだろうか。」と提案されたとしても、その「すべてのひと」の中に、トランス女性・トランス男性は本当に含まれているのだろうか、と疑問に持たざるを得ません。

トランスの人たちに「相応の社会的なコストを支払」わせることで(シス)女性の安心安全を確保する、と読者に誤読させる余地は、明確に排除した書き方にすべきであったと思いますし、現時点でトランスの人たちが抱えている「あまり人の来ないトイレに行く」などの不便・不都合を軽視した文章になっていると思います。

(「シス男性が感じ得る恐れ・不安」についても触れる必要があるように思います、が、そもそも8000字の論考に収まるようなテーマ設定ではないので…)

 

⑧トランス差別とトランスへの差別意識について
(P254上段)「トランスに対する差別意識を持っていないにもかかわらず、トランス排除的であるといわれる人たち」

本文で提示されたナラティブに従えば「本人に差別意識はないのに「ターフ」の烙印を押されたフェミニストたち」と言い換えることが可能だと思いますが、「差別意識の有無」と「差別的行為をしたか否か」を区別して考える必要があることは、「女性を差別するつもりはないから差別じゃない」と弁明する聖マリアンナ医大などの差別者に対し、フェミニストが繰り返し指摘してしいた点ではないでしょうか。(差別意識がなければ、女子受験生の一律減点は差別にあたらないのか?)

また、「トランス排除的である人がトランス排除的である理由を「差別意識」だけに還元することは弊害の方が多い」とありますが、この「弊害」とはいったい何を指すのでしょうか。

「トランス女性が勝手に「ターフ探し」にはげみ、勝手に見当外れのフェミニストを「ターフ」とラベリングし、勝手に啓蒙活動を行い、思い通りの成果が出ないので勝手に憤慨している状態」ですか?

それとも、直後の段落に登場する「アングリーなトランス女性が現実の世界で破壊行為に及び、バンクーバーのシェルター破壊事件のように社会的な実害が出ること」ですか?


「シェルター破壊事件の犯人は正体不明だし未逮捕」の情報が出てくるのはP254上段L24以降、「トランス排除的である人がトランス排除的である理由を「差別意識」だけに還元することは弊害の方が多い」よりも後です。

(P254上段)「(…)もし仮に差別意識があったとしても、差別の問題を考える際に、その原因としてことさら「意識」を持ち出し、批判のターゲットとすることは大きな問題を呼び込む。」とありますが、「ターフか否か」の判定基準が「(自覚的な)差別意識の有無」に帰結されている千田さんのこの主張もまた、「ことさら「意識」を持ち出し、(トランス排外的なフェミニストを批判する(おそらくトランス女性と仮定されている)人物を)批判のターゲットとする」点で、同じく大きな問題を抱えているのではないでしょうか。

仮に「トランス差別的だと批判されている人たち(フェミニスト)」にトランス差別的な意識があるか否かは重要でないと主張するのであれば、なぜ、「トランス差別的だと批判されている人たち」の言動や主張を検証したうえで「彼女たちはターフではない」と論じないのでしょうか。

「トランス排除的だと言われる人にあったけど、彼女たちに差別意識はない」という主張は、「I have white friends, they're not racists.」と同じ論法であり、なんの証明にもなっていません。

 

⑨「トランスに対して差別意識を持っていたら、そもそもトランス排除という問題自体に関心がなく、この問題を避ける可能性の方が高い。」?

この論理を女性差別にも当てはめた場合、聖マリアンナ医大などの大学入試における女子受験生差別の問題はどのように分析できるでしょうか。

「女性に対して差別意識を持っていたら、そもそも女性排除という問題自体に関心がなく、その問題を避ける可能性が高い」?

女性医師・女子学生・女子受験生に対して差別意識を持っているからこそ、女子受験生を排除しようとするのではないでしょうか。

差別意識があるからこそ、「問題に関心がない」どころか、積極的に差別的な言説を作り出し、問題行動を繰り返すのではありませんか?

そしてその「差別意識」は、差別者本人が自覚しているか否かにかかわらず、存在しているのではないでしょうか?

 

 ⑩「ターフ」を脅迫しているのは誰だ
「目を覆うようなニュースや写真」「血塗られたタンクトップ」「いろとりどりの斧やトンカチ」「武器を携えて「ターフ」をしばくとする写真」

こうした物理的な暴力と脅迫を用いて「「ターフ」を脅迫する人たち」の正体は、この論考では明確に定義されていません。

「「ターフ」を脅迫する人たち」はトランス女性なのでしょうか?

それとも、「トランスはたんに、破壊行為の口実として使われている」だけなのでしょうか?

千田さんの書いた論考では「誰が「ターフ探し」をしているのか」という点が、そもそも明確になっていません。

本論考の最終段落「このような暴力に陥ることになく、私たちが多様性に基づいた社会を設計するには(…)「ターフ」を見つけ出して、制裁を加えることではなく、問題を構造を見据えた私たちの社会的合意の達成[が必要である]」とありますが、ここで述べられている「「ターフ」を見つけ出して、制裁を加える」人たちは、一体誰を指しているのでしょうか。

千田さんは「トランス女性が犯人だ」とは一言も書いていません。

しかし、「トランス女性は犯人ではない」とも書かないので、「ターフ狩り」の犯人像がトランス女性であるとも、トランス女性ではないとも読める玉虫色の表現になっています。

このブログ記事の②で指摘した、バンクーバーの女性シェルター破壊事件への言及における問題と、同じ問題です。

「トランス女性が犯人だとは言ってない、でも犯人は逮捕されてないから本当にトランス女性じゃないのかは分からない、本当はトランス女性かもしれない、でもトランス女性じゃないかもしれない」という、犯人の正体がシュレディンガーの猫状態になっている事件を例に用いても、読者の不安を煽るだけです。

 

「私は犯人がトランス女性だなんて一言も言ってないですよ」というポーズを取りながら、トランス女性が犯人ではないかと匂わせるような事件・脅迫の例を羅列して「ターフ狩りの憂き目にあってるフェミニストはこんなに酷い環境にさらされてるんです、ターフ狩りする人たちのせいでまともな議論が進まないんです」とトランス排外的なフェミニストの窮状のみを訴えるこの文章を読んで、果たしてどれだけの読者が「この人はトランス女性のことも、自分と同じ「女性」と考えて心配しているのだ」と考えることが出来るでしょうか。

果たしてどれだけのシス女性とトランス女性に「互いに連帯する必要がある」と考えさせることができる文章なのでしょうか。

「私はアジア人が犯人だなんて一言も言ってないですよ」というポーズを取りながら、アジア人が犯人ではないかと匂わせるような事件・脅迫の例を羅列して「レイシスト狩りの憂き目にあってる白人たちは、こんなに酷い環境にさらされてるんです、レイシスト狩りする人たちのせいでまともな議論が進まないんです」とアジア人排外的な白人の窮状のみを訴える文章を読んだとして、いったいどれだけの読者が「この筆者はレイシストではない」と考えることができるのでしょうか。

「破壊活動の口実に使われているアジア人に、私は同情する」と考えることができるのでしょうか。

 

この文章は「トランス排外的な人たち」に「自分たちに差別意識はないから、差別じゃありませんよね」という言い訳の手段を与える点で、非常に問題のある論考だと思います。

「我々は、すでにジェンダー論の第三期の時代に到達しているのではないか」という千田さんの指摘は(第三期の定義を非常に限定的にした場合においてのみ)正しいと思いますし、「シス・トランスを含むすべての人々が安心安全にトイレを利用できる環境が目指されるべきだ」という指摘にも賛成です。

しかし、(シス)女性用トイレを利用するトランス女性と、ペニスのある女性によって安心安全をおびやかされていると感じるシス女性とを対置させた状態で、「なぜそこ[トランス女性が安心安全を感じて使用可能なトイレ]が従来の「[シス女性用の]女性」トイレだとアプリオリに決められているのか。」と述べるのは、(シス)女性用トイレからトランス女性を排除することを容認しているように感じます。

また、「犯人がトランス女性だとは限らない」という主張の論拠が非常に弱く、ほぼ提示されていない状態で「ターフ狩りの憂き目にあってるフェミニストを取り巻く環境ってこんなに悲惨なんです」と犯罪被害を列挙するのは、シス女性とトランス女性に連帯を呼びかけるにあたって、非常に配慮に欠けた書き方なのではないかな、と思います。

 

~ここまで書いた時点で、改めて~

ここで、改めてゆなさんの「「女」の境界線を引きなおす」批判を読み直すと、千田さんに「誤読」と言われている要約が、起きるべくして起きた「誤読」なのだということが分かります。

 

「1.そもそもシス女性には現在、ないし従来の常識に照らしてペニスを恐れる理由があるのであり、それは差別意識によるものではない。」

千田さんはこの部分について「本論考の起点ではない」と指摘していますが、「シス女性がなぜトランス排外的ともとれる言動をしてしまうのか」という説明を成立させるためには、必要不可欠な要素であることが分かります。

「シス女性にトランス差別の意識はないが、トランス排外的ともとれる言動をせざるを得ない理由がある」という前提がなければ、「トランス女性の(シス)女性用トイレ利用に恐怖を感じるシス女性は「ターフ」ではない」「ターフ狩りの憂き目にあっているフェミニストは「ターフ」ではない」という論理が成立しないからです。

この点について、「論文の起点ではないから誤読だ」と断じるのは、いささか乱暴でしょう。

 

「2.トランスはジェンダーの第三段階に当たる、「身体もジェンダーアイデンティティも自由に構築する」という発想のもとで自身のアイデンティティを自由に構築している。」

これは原文において、美容・ファッション目的の娯楽的な「身体変容の自由」と、性別違和を解消するための苦渋の決断としての「身体変容の自由」とが並列され、前者の「ノリの軽さ」、後者の「ノリの重さ」が軽視・無視されていることによって生じた「誤読」です。

「(実はすべてのひとにとって、その[セルフ・アイデンティティの選択という]自由の行使はそう容易でもなければ、均等に分配されているわけでもないことは別稿に譲るとして)」という文言が、P252下段L14-16と離れた場所に書かれていることも、誤読の余地を排除しきれなかった要因の一つだと思います。


「身体変容の自由」の説明は主にP251上段に書かれているのですが、P251の裏面にP252がある(同じ紙の表と裏に、P251とP252が印刷されている)ので、実際の表示ノンブルの数値以上に、物理的な距離が隔たっているかのような読書体験であると思います。

私は、千田さんが「トランスは美容・ファッション感覚で「身体変容の自由」を行使して、性別を選択している」と書いているとは思わないのですが、「身体と意識が切り離し可能だから脂肪吸引手術で身体を変容させたい太っているひと」と「身体と意識を一致させるために身体を変容させたいトランス」の共通点と相違点については、もっと字数を割いて丁寧な分析を読者に示すべきだったと思います。(テーマをもっと絞r以下略)

自身の書いた文章が読み手に「誤読」させる余地を多分に含んだ文章であったにもかかわらず、「誤読」の原因を読み手の読解力のみに求めて「虚偽だ」「誤読だ」と断じるのは、ちょっと、どうなんでしょうね……。

なお、この「2.」の部分で生じた「誤読」によって、連鎖的に「3.」が一部「誤読」的な要約となります。

 

「3.自由に構築できるアイデンティティなのだから、従来からのシス女性の安全を脅かすような仕方で女性トイレ等の使用を求めるのではなく、トランス女性はトランス女性のスペースをつくり、それぞれの安全を求めればいい。」

前半の「自由に構築できるアイデンティティなのだから、」の部分は「2.」で生じた「誤読」で、千田さんの原文が美容目的の「身体変容の自由」と、性別違和解消のための「身体変容の自由」を並置させ、両者の「ノリの軽さ・重さ」を軽視した書き方になっていたことに起因します。

後半の「従来からのシス女性の安全を脅かすような仕方で女性トイレ等の使用を求めるのではなく、トランス女性はトランス女性のスペースをつくり、それぞれの安全を求めればいい。」の部分は、千田さんの原文にある「なぜそこが従来の「女性」トイレだとアプリオリに決められているのか。」という問題提起の文章から派生しているように思います。

前半部分に関しては「(起きるべくして起きた)誤読」だと思いますし、後半部分との因果関係も(私が千田さんの文章を読んだ限りでは)「誤読」だと思います。

「従来からのシス女性の安全を脅かすような仕方で女性トイレ等の使用を求めるのではなく、」という部分については、バンクーバーのシェルター破壊事件への言及から連想された文言だと思いますが、この点については「②トランス女性のトイレ・風呂の話題から、「バンクーバーのシェルター破壊事件」へのつながり」で言及した通りです。

「トランスに負担を強いる形で、トランスのトイレの問題は「問題がない」ことになっている」という周囲の人たちを例示したすぐ後に、バンクーバーのシェルター破壊事件について言及するのは、「日常生活で負担を強いられているトランス女性が、いつか(シス)女性用トイレを破壊するのではないか」と示唆している文章として読まれてしまっても仕方がありません。

トランス女性はトランス女性のスペースをつくり、それぞれの安全を求めればいい。」という要約については、あながち「誤読」していないように思います。(「⑦トランス女性のトイレ問題」参照)

千田さんが「シス女性がペニスのある女性を恐れるのは、ペニスが存在するからだ」と論じている以上、千田さんの論考に素直に従うならば「シス女性が安心してトイレを使うためには、ペニスのある女性はシス女性と同じトイレには入れない」という論理が成立します。

これは、トイレという空間における「男性/女性」の線引きを変えたとしても、「男性」「女性」という概念そのものの線引きを変えたとしても、同じです。

トランスの人たちに「相応の社会的なコストを支払」わせることで(シス)女性の安心安全を確保すればいいのではないか、という提案しているように「誤読」させる余地のある文章だと思います。

 

「4.それにもかかわらず、トランス活動家はシス女性たちの恐怖を差別意識だと誤認し、それを正そうとしては失敗していらだった挙句に、ときに破壊活動にまで及ぶ。」

これは、私が「玉虫色の表現」だと指摘した原文の問題点によって引き起こされた「誤読」です。

トイレの利用に関して日常的に不便をを強いられているトランスの状況を提示してから、シス女性用のシェルター破壊事件を参照して「ターフ狩りの被害にあうシス女性」の姿を読者に印象づけ、「ペニスのある女性がいると、シス女性は安心してトイレを使えないんです」と、シス女性が安心安全にトイレを利用する権利がおびやかされている状況を説明したあとに「トランス女性が従来の「女性」トイレに入らなければいけない、とアプリオリに決まっているわけではない」と論じ、「ターフ狩りの憂き目にあってるフェミニストはこんなに酷い環境にさらされてるんです、ターフ狩りする人たちのせいで議論が進まないんです」と「ターフ」の烙印を押されたフェミニストの窮状を訴えながら、トランス女性が犯人ではないかと匂わせる脅迫行為を列挙して読者の不安を煽り、ほんのお気持ち程度に「バンクーバーの件は犯人がトランス女性かは不明です(でも逮捕されてないから本当にトランス女性じゃないのかも分かりません、本当はトランス女性かもしれません、でもトランス女性じゃないかもしれません)」とフォローを入れるこの論考の筋に素直に従うならば、「この筆者は「シェルター破壊事件の犯人も見当違いなターフ狩りをしているのもきっとトランス女性だ、怒り狂ったトランス女性たちが勝手に勘違いして勝手に怒って勝手に暴れているだけなのだ、被害にあったシス女性やフェミニストたちは可哀そうな被害者だ」と読者に訴えたいのだろう」と考えるのが自然ではないでしょうか。

私は、この論考が、トランス女性に対してフェアな書き方をしている文章だとは思いませんし、誤読の余地が極力排された文章になるよう配慮して注意深く書かれた文章だとも思えません。

ゆなさんの「誤読」は、説明不足な論考の「玉虫色の表現」によって起こるべくして起こった「誤読」ではないでしょうか。

 

 

~~~オマケ~~~

トランス女性に対するシス女性の不信感って、ぶっちゃけこういう「煽るだけ煽ってなんの責任も取らない輩」が存在するからって側面もあるよね。

百田尚樹がお茶の水女子大のトランスジェンダー入学に下品な差別攻撃!「よーし今から勉強して入学を目指すぞ!」 (2018年7月14日) - エキサイトニュース

 

~~~オマケ2~~~

「優れた論考につても積極的に語ってほしい」←ですよね!!???

というわけで、ここからは個人的に超一押しな記事TOP5について書きます。

鈴木みのりさんの記事がめっちゃ良いぞ!という話はすでに色々な方たちがされていますので、他の方々が執筆された記事について。

①「分断と対峙し、連帯を模索する:日本のフェミニズムネオリベラリズム
 (対談)菊地夏野×河野真太郎×田中東子

めっちゃいい対談だから読んで、頼む読んでくれ。この対談のためだけに1980円(税込)出しても惜しくない。

②「感じのいいフェミニズム?:ポピュラーなものをめぐる、わたしたちの両義性」
 (執筆者)田中東子

「(女なんだから)もっと愛想よくしろよ」という言説に、フェミニズムはかれこれ50年以上(いやもっと)抗い続けているはずなのだが「あーあオマエらが愛想良く喋らないから聴く気なくした〜自分がフェミニズムに興味ないのはオマエらが感じ悪いせいだ〜あ〜あ」とのたまうノー勉だけど地頭には自信あります系アンチのために愛想良く感じよく応対させられてる地獄&でも現実問題、愛想よく話した方が話を聞いてもらいやすいんだよね…という葛藤について。頼む読んでくれ。私の要約じゃなくて原文にこそ価値がある。

③「インターセクショナル・フェミニズムから/へ」
 (執筆者)藤高和輝

個人的に「え…SUKI…///(フォーリンラブ)」みたいな論考です。有色人種の女性(原文では「黒人女性」)が二重に疎外されてる話、オリエンタリズムの枠組みにおけるアジア人女性にそっくりじゃん何それなんてサバルタン?キンバリー・クレンショー……ベル・フックス……モーハンティー……覚えた……読む……ちゃんと読みます……名もなき読者の私に素敵な知識を授けてくださりありがとうございます……(合掌)

 ④「波を読む:第四波フェミニズムと大衆文化」
 (執筆者)北村紗衣

第一波フェミニズムと呼ばれる時代以前のフェミニズム的な動向にも目配せしつつ、第一波~第四波フェミニズムまでこんなに整理整頓されたフェミニズム史概観って他にあります?と逆に問いたい。本文のみならず、参考文献も必読だと思う。第2章「第四波フェミニズムの動き」と併せて読めば、海外(英語圏)の最新のフェミニズム研究を参照する際に覚えておくべき研究者の名前が分かる。助かる。本当に助かる。良い論考は参考文献もまた素晴らしい、の法則が体現されている。研究論文における「心・技・体」の一致とは…のお手本みたい。

⑤「女性視点の日本近現代史から見えるもの」
(執筆者)深澤真紀

①で紹介した対談の後にソッコー読みました。山川の日本史の教科書と並べて読むとなお良い。あと、この記事を先に読んでおくと、他の執筆者の記事を読むときに「あっ、これ進研ゼミでやったところだ!」状態になれます。

以上、個人的に一押しな記事TOP5を紹介しましたが、他にもオススメしたい記事がたくさんあるので、ぜひぜひお近くの書店で『現代思想』を手にとってみてください。個人的には装幀も好きだしオススメなんだでも「装幀――六月」としか書いていないんだ「六月」さんって何者なんだ!?って感じです。気になる!!